土曜日から一泊2日で○○県に嫁いだ同窓生宅での同窓生旅行に出かけてきましたアップ

数時間電車に揺られ到着アップ(乗り換え一回)

友人宅は、凄~く大きな家に夫婦二人(子供は独立して家を出ている)と数年前から飼っている大きな�が一匹います。(凄く頭がよくて可愛いアップ)
やはり、久しぶりの再会だから(ましてや、おばちゃん連中の集まり)、到着後直ぐからおしゃべりが始まりアップ気がついたら昼過ぎに着いたのに、もう夕方になっていたニコニコ

急いで、いつも行く大きなスーパーで買い物、そして○○県なのに、凄~く美味しいお刺身アップ
沢山買い出し後、ある程度夕食準備後、 友人宅近くにある温泉へ。
またまたこの温泉が凄~く良くて、値段も考えれない位お安アップい~ついつい長湯アップアップ
お腹もすいて、恒例の夕食兼飲み会�ビックリマーク
時間気にせず、飲みました。食べました�
既に、時間は0時を何時間随分過ぎて~�やっと寝ました�
旅行後パート2は~後日
今回の入院する前に、兄がとった不思議が事が有ったらしいビックリマーク(両親からの話)

入院する2日前に、兄が両親を車でドライブに連れ出し、いろんな所を沢山回ったらしいビックリマークそして、突然、家で『もし、僕が亡くなった場合、写真を選ぶ時は、この時代の写真を使って欲しい』と話したらしい。両親は、びっくりして『突然何いうの�今元気にいるのに~馬鹿の事言わないで』とビックリマーク

その2日後に、発熱ダウン(肺炎と胃腸炎と診断)とりあえず検査入院という事で入院。 (結果的に、この入院後、退院せずに数ヶ月後に他界となる。)
私と弟は、計画に遊びに来たので、兄の入院は残念でした。 また主治医が変わっていてダウン(田舎のせいか�一年毎に主治医が変わるそうです)その医師より『状態は、比較的安定しています。しかし、あの肺ですから、肺炎を繰り返しています。体力的にも、若いですが、そう長く生きられないと思います』
その言葉は、六年前から何回も聞いていた。だが、兄は何度も危機を乗り越えてきたビックリマーク

兄は、私と弟の帰郷を楽しみにしていたらしく(両親からの話)、面会では、家族5人で、いろんな世間話や、たわいない会話に花をさけせましたビックリマーク数日間滞在していましたが、家族5人での会話があれが最後とはダウン思いませんでした。

また来年も遊びに来る約束をし戻ってきました。

数ヶ月後の水曜日、たまたま午前中が休みで、午後から仕事予定でしたが、朝早くに、またまた危篤の電話�ましてや、その電話は主治医から~ 延命処置の話がダウン
しかし、以前に家族 で話あった結果は(延命処置をしない事を話し、本人も延命処置しないと思っていたと。自分の死期を感じていたのかもダウン)
その後、急遽帰郷ビックリマーク
一晩中、弟と二人でずっと兄に付き添い(兄弟三人が一緒に居れる時は今夜だけだと思い、ずっと付き添いました)

両親は、6年前のように帰宅させた。

朝方4時に急激に状態悪化�両親を呼び寄せて、最期は、両親と私と弟の4人で看取りました�
悲しいが死に顔は、とても安らかな顔に、『あれで良かったと』思いました。

私は、兄の為には、六年前に味わった辛さ、悔しさビックリマーク一生忘れること出来ないであろうダウン

おしまいビックリマーク
退院して、両親と三人暮らしが始まったビックリマーク
高齢の両親もまた辛い状態だった�
やせ細った子供の介護が始まっただけでなく、可愛い孫達が居なくなりダウン
三人とも精神的ダウン状態でした。

私と弟は、何度も電話で『人間誰もいろんな悩み辛い事もあるビックリマーク後ろ向きに考えずに前向きに考えていこうビックリマーク必ず良いことあるから』
言ってきたビックリマーク(口で偉そう事言っているが、私自身、精神的に限界な状態でした。)
私にも家族がいます。家族だけは心配させたくないと仕事先、家では気持ちは抑えて行動していました。

しかし、知っているんですね。家族はビックリマーク
沢山、気を使ってくれているのが分かり、自分はとてもいい家族に恵まれていると改めて思いました。

兄と両親は徐々に三人の生活に慣れてきたが、生活していくのには、¥が必要。
兄は働けない、両親の少ない年金生活ビックリマーク

もともと父親は、とても前向きな性格ビックリマーク
時々バイトをしたり、米を作ったり、庭に野菜をつくたりとアップ凄~く頑張ってくれてます。

そのかいあって、節約生活しながらも三人で生活を続けていました。

兄も徐々に体力アップて、自分で車運転して、両親をドライブや買い物につれていく位に回復してい多ビックリマーク

しかし、昨年5月、再度肺炎で入院となったが、六年前の肺炎で肺は数カ所菌で穴が空いている所に、ここ数年で、何度も風邪をごじらせて(体力無いため、すぐに風邪を引いてしまう)、肺機能は低下していた。病状悪化し病状的に危ないとビックリマーク両親からの電話に急遽帰郷。しかし、帰郷したが、兄は私達兄弟が来ると聞いて、凄く喜んでいたせいもあるが、比較的に落ち着いて話も出来ていた(痩せているのは変わらない)。しかし、新しい主治医からの病状説明でレントゲンを見せてもらったが、凄く悪いダウン
『病状的にも(肺状態)いつ以前のようになるかわからないダウン今後の治療について家族で相談して下さい』とビックリマーク

今回は、しっかり説明がなされたビックリマーク
私は、帰郷前から、両親と弟には、兄の今後の事を考えて、よくここまで頑張ってきた(肺が再生するならともかく、よくなっていかないから)から、危篤状態になった時は、人工呼吸器装着はさけようと話すつもりでいた。 (死を覚悟するように、妹としては、兄に長生きしてもらいたいが、看護師として考えてみて、人工呼吸器装着が兄にとっては苦痛と)

病状説明中に、主治医へは、私から直接延命処置はしない事を説明し、両親、弟には、私が時間かけたがら説明する事とした。

数日間田舎に滞在したが、兄の病状は安定していた。

たまたま、私が高校卒業して以来、初めて親、弟と過ごす機会が出来た。また、 兄の病室で、家族が全員で会ったが(5人だけで)兄が卒業以来たがら30数年ぶり�

たわいない会話だけど、誰にも気を使わない一時を過ごした。両親は、兄弟三人で話している姿をみて嬉しいそうビックリマークまた、兄弟だけで会話ま出来たビックリマーク
(六年前は意識ない状態だったが、今回は話しながら、弟と2人で兄の清拭、シーツ交換をした)

兄には、病状悪化しない為に、自分で気をつける事等を話したビックリマーク

滞在中に、両親と弟には兄の病状ついて説明し、現在の病状及び今後(近い将来)最悪な状態になった時の対応についての話をした。

兄の為に全員で話をして延命処置をしない結論を出した。

また、兄の為にも、5人で過ごす時間を沢山作ろうと、年一回必ず、帰郷し5人で過ごす約束して戻って来たビックリマーク

兄は、私達が帰ってから、またまた病状が更に落ち着いて退院となる。

約束の帰郷が今年の2月でした。
やっと5人で家で、過ごす事が出来ると楽しみにしていが、私達が帰郷する数日前に、肺炎と胃腸炎で入院となっていたダウン
またまた、その入院にも不思議な事が~
その後~その3
後日