退院して、両親と三人暮らしが始まったビックリマーク
高齢の両親もまた辛い状態だった�
やせ細った子供の介護が始まっただけでなく、可愛い孫達が居なくなりダウン
三人とも精神的ダウン状態でした。

私と弟は、何度も電話で『人間誰もいろんな悩み辛い事もあるビックリマーク後ろ向きに考えずに前向きに考えていこうビックリマーク必ず良いことあるから』
言ってきたビックリマーク(口で偉そう事言っているが、私自身、精神的に限界な状態でした。)
私にも家族がいます。家族だけは心配させたくないと仕事先、家では気持ちは抑えて行動していました。

しかし、知っているんですね。家族はビックリマーク
沢山、気を使ってくれているのが分かり、自分はとてもいい家族に恵まれていると改めて思いました。

兄と両親は徐々に三人の生活に慣れてきたが、生活していくのには、¥が必要。
兄は働けない、両親の少ない年金生活ビックリマーク

もともと父親は、とても前向きな性格ビックリマーク
時々バイトをしたり、米を作ったり、庭に野菜をつくたりとアップ凄~く頑張ってくれてます。

そのかいあって、節約生活しながらも三人で生活を続けていました。

兄も徐々に体力アップて、自分で車運転して、両親をドライブや買い物につれていく位に回復してい多ビックリマーク

しかし、昨年5月、再度肺炎で入院となったが、六年前の肺炎で肺は数カ所菌で穴が空いている所に、ここ数年で、何度も風邪をごじらせて(体力無いため、すぐに風邪を引いてしまう)、肺機能は低下していた。病状悪化し病状的に危ないとビックリマーク両親からの電話に急遽帰郷。しかし、帰郷したが、兄は私達兄弟が来ると聞いて、凄く喜んでいたせいもあるが、比較的に落ち着いて話も出来ていた(痩せているのは変わらない)。しかし、新しい主治医からの病状説明でレントゲンを見せてもらったが、凄く悪いダウン
『病状的にも(肺状態)いつ以前のようになるかわからないダウン今後の治療について家族で相談して下さい』とビックリマーク

今回は、しっかり説明がなされたビックリマーク
私は、帰郷前から、両親と弟には、兄の今後の事を考えて、よくここまで頑張ってきた(肺が再生するならともかく、よくなっていかないから)から、危篤状態になった時は、人工呼吸器装着はさけようと話すつもりでいた。 (死を覚悟するように、妹としては、兄に長生きしてもらいたいが、看護師として考えてみて、人工呼吸器装着が兄にとっては苦痛と)

病状説明中に、主治医へは、私から直接延命処置はしない事を説明し、両親、弟には、私が時間かけたがら説明する事とした。

数日間田舎に滞在したが、兄の病状は安定していた。

たまたま、私が高校卒業して以来、初めて親、弟と過ごす機会が出来た。また、 兄の病室で、家族が全員で会ったが(5人だけで)兄が卒業以来たがら30数年ぶり�

たわいない会話だけど、誰にも気を使わない一時を過ごした。両親は、兄弟三人で話している姿をみて嬉しいそうビックリマークまた、兄弟だけで会話ま出来たビックリマーク
(六年前は意識ない状態だったが、今回は話しながら、弟と2人で兄の清拭、シーツ交換をした)

兄には、病状悪化しない為に、自分で気をつける事等を話したビックリマーク

滞在中に、両親と弟には兄の病状ついて説明し、現在の病状及び今後(近い将来)最悪な状態になった時の対応についての話をした。

兄の為に全員で話をして延命処置をしない結論を出した。

また、兄の為にも、5人で過ごす時間を沢山作ろうと、年一回必ず、帰郷し5人で過ごす約束して戻って来たビックリマーク

兄は、私達が帰ってから、またまた病状が更に落ち着いて退院となる。

約束の帰郷が今年の2月でした。
やっと5人で家で、過ごす事が出来ると楽しみにしていが、私達が帰郷する数日前に、肺炎と胃腸炎で入院となっていたダウン
またまた、その入院にも不思議な事が~
その後~その3
後日