末裔と、郡会議員だった曽祖父とが親しかったため、折に触れて詩歌の交換をしたようです。
ふすまの書は、庚申の年(大正8年)の初春に舞子の別荘で交わした詩歌で、舞子の濱を画材に十題(10枚)したためられたようですが、3枚しか残っていません。
当時、曽祖父は池田さんをどのように呼んでいたのでしょうかね。
まさか、池田の殿様でもないでしょう。
世が世なら、恐れ多い大大名の末裔ですが、それを乗り越えた何かが二人の間にあったのでしょう。
神奈川県葉山に誰よりもいち早く広大な土地を買い求めて別荘を築いたのも彼でした。
その別荘は現在、天皇家が毎年避暑に来られる葉山の御用邸です。
私が生まれる前から(あたりまえ)我家を見続けた家具の一つです。
昭和47年にふすまの張替えを依頼した時、ふすま屋さんから出火し、一時はあきらめましたが、別の場所に保管されていたため難を逃れました。
そういえば我家の昭和初期の逼塞、先の大戦,そして火事,大震災と、色々な苦難を乗り越えて、祖父母や両親、兄弟を見守ってきてくれました。
これからも、大事に伝えてゆきたいと思っています。
