「枯葉」「ロマンス」などのシャンソンを日本に紹介したビッグスター 高英男さんが亡くなりました。
2007・8・8のブログにも書いていますが、晩年まで自分は大衆歌手だとして数千回のワンマンショーやリサイタルを開き、お客様にサービスを忘れませんでした。
彼は、樺太(サハリン)の財産家(王子製紙の創業者の一人)に生をうけ、なに不自由なく育ちましたが、戦争で同級生とともに出征し、11人のうち2人しか返ってくることができませんでした。
陽気な彼の舞台とは裏腹に、一生心の傷は癒えなかったことと思います。
私が生まれた昭和28年に「雪の降る街を」が発表されました。
彼がこの唄を歌う時、自分の古里、樺太(サハリン)の豊原(ユジノサハリンスク)の雪の風景を思い出しながら歌っていたそうです。
出征して亡くなった同級生の元へ旅立ち、魂は雪の降る豊原へと帰って行きました。