20240406「男だらけの東大で学んできた女性の歴史…女性入学者ゼロだった学部、 | 前山和繁Blog

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このごろ、過去に書いた記事の誤っている箇所が気になり始めてきた、直したい箇所もいくつかあるが、なかなかできないでいる。

英語学習の記事も時折書くことにした。

男だらけの東大で学んできた女性の歴史…女性入学者ゼロだった学部、「私設秘書」に登用された才女、「点取り虫」「ギスギスしてドライ」と揶揄された過去も

 

 

 

 

指定制服のない私立中学校高校というものは東京都に集中しているのだろう。そして式典の場でも正装はせずとも構わない私立中学校高校なら、性同一性障害の人々にとってありがたいはず。

 

指定制服がない中学や高校があっても式典の時に正装してくださいという慣習があるところは性同一性障害の人々が入学してくる可能性に無自覚な学校ということになる。

 

私は、当事者でなく、この問題については気付くのが遅かった。20代の前半のどこかで読んだルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインやミシェル・フーコーの本を読んだ後にようやく気づいた。そしてフーコーが編集した『ピエール・リヴィエールの犯罪』に手記が記載されているピエール・リヴィエールが性同一性障害であったかどうか、フーコーが正確に観察していたかどうか、かなり後になってようやく気づいた。

 

男性の身体を持ちながら精神は男性でない人々や女性の身体を持ちながら精神は女性でない人々は、指定制服を着てくださいという慣習があると、苦になるだろう。しかし中高生の段階で公開の場で、この問題を表現できるほどの能力を有している人はまずいない。

 

東京都の1年あたりの出生数は1989年から10万人前後で推移し2019年10月の消費税増税以降COVID-19流行後には東京都の1年あたりの出生数はやや下がったが9万人台を維持している。

 

全国的に少子化が進行している最中にあって東京都だけなら1年あたりの子供の絶対数が減少しにくい。そして指定制服のない中学高校がある。ということは性同一性障害の子どもたちは個性を保ちながら生きるために受験勉強をし指定制服のない中学や高校に入学したがるのだろう。

 

もしリベラリストなら中学高校の指定制服というのは廃止するように主張するのが、リベラリストに相応しい立場になる。しかしこの問題はおおやけにするのが難しい。

 

そして東京大学には男性の身体でありながら精神は男性ではないという人々が少数でありながらも確実にいたはず。しかし女性の身体でありながら精神が女性でない人々は東京大学への入学率は低いだろう。

 

だから結局この問題を解消しようとするなら大学の定員増以外に有効性はないのである。

 

1948年生まれの作家の橋本治は子供の頃は鬼ばばあのような母親に言われて勉強をさせられていたというような説明を何処かでしていたが、私なりの解釈をするなら、男言葉と女言葉の使い分けをしなければならないという内的必然性が発生していたから勉強するしかなかったのだろう。東京大学に入学し大学院の正規課程に英語ができないという理由で入れず研究生となったというのは、当時の人からすれば紛れもないエリートだが、橋本治個人の男言葉と女言葉を使い分けなければならない内的必然性が原動力だったと解釈するしかない。橋本治は実家を駄菓子屋と分類していたが、小さな店をやっていた家の子供が東京大学に入ったというのは立身出世的に捉えることも可能だが、生きるために自分に合った言葉の使い方を身に付けなければならなかったという内的必然性を観察できないなら、何の意味があるのかわからない。

 

そしてリベラリストなら日本の人口減少については消費税減税によって歯止めをかけなければならないという主張をしなければならない。なぜそう言えるのかというなら、性同一性障害を有する人々の絶対数が減りすぎたらその人々が何らかの政治的な運動を起こせる可能性が低くなってしまうのである。