先週、無事に岡山から

東京に帰ってきました口笛

 

 

実家にいる間、

母といろんな話をしたんですけど

その中で死生観の話になって。

 

 

あ、今日は目に見えない存在の話とかも

するので、そういう話が苦手な方は

今日はここで回れ右してくださいね!

 

 

 

 

 

母は私が高校生の頃から

ずっと透析をしているので、

 

 

「自分は延命治療をしてるだけ」

という意識が常にあるらしく

 

 

たぶん普通の人よりも、

死を身近に感じている(それが日常になっている)のだと思います。

 

 

死生観について母娘で話すって

普通(?)なのかどうかは分かりませんが

 

 

でも、最近は終活なんて

言葉もあるくらいですから

 

 

「人生をどんな風に終えたいか」について

考える人が増えてるのかもしれませんね。

 

 

 

 

 

で、そんな母娘の対話の中で、

 

 

「結局、最期の "状態" が勝負だよねー」

という話になったんです。

 

 

それまでどんなに善行を積んでも

どんなに富と名誉を手に入れても

どんなに正しい行いだけしてきても

 

 

もしも最期、死ぬ間際に

誰かを恨んだり後悔が残ってしまったら

 

 

それは生きてる間に起こった

嬉しかったことや良かったことが

全部台無しになっちゃうよね・・・と。

 

 

 

私の周りには、目に見えない存在が

見える/感じる方々がたくさんいるので

 

 

地縛霊だとか、生き霊だとか、

いろんな話を聞くんですけど

 

 

例えば自分がそういう存在にならないためには

今の人生をどう生きたら良いんだろう??とか

たまに考えるわけですよ。(え?考えません?w

 

 

 

だってその人たちだって、

どこかの時代ではごく普通に

この世で人生を送っていた人たちなわけで。

 

 

そういう意味では

自分と変わらない人間なんですよね。

 

 

感情もあるし、思考もあるし、

喜んだり、悲しんだり、グルグル悩んだり

 

 

誰かのせいにしてみたり、社会を恨んでみたり

自分を責めてみたり、後悔してみたり

 

 

そういうのも同じですよね。

人間ですもんね。

 

 

 

 

 

私は、しょせんまだまだ未熟人間なので

生きてればそうやって

未熟さ全開になる時もあるんですけど。

 

 

でもやっぱり、最期くらいは、

「あーーー楽しかった!!」って

スッキリ終わりたいなぁと思うんです。

 

 

だったら、どれだけ、

 

 

「正しくなさそうなこと」

「いかにも誰かが悪そうなこと」

「いかにも自分が正しそうなこと」があっても

 

 

私は、誰かを恨んでは終わりたくないな。

そして自分のことも恨みたくないな。

と思うんですよね。

 

 

正誤や善悪の二極化した価値観ではない、

もっと自由で、グラデーションで、色鮮やかな

楽しい価値観の世界で生きたいなぁと。

 

 

終わりよければすべて良し。

なんて言葉がありますけど

 

 

人間は、

" 終わるとき勝負 " なんじゃないかなって

 

 

私、思うんです。

 

 

 

その渦中では、どんなにやらかしても、

いっぱい失敗して、苦しんで、

たくさんもがいても、良いから。

 

 

終わるとき、

「あーー自分の人生で良かった」って

言えたもん勝ちじゃないのかなって。

 

 

だったら、誰が正しいか間違ってるか、

何が善で悪なのか、それを判断することに

なるべく時間を使いたくないなぁと思うんです。

 

 

 

 

「人生をどう終えたいか」を考えることは

そのまま、「人生をどう生きたいか」を

考えることに繋がるので。

 

 

そしてこれは、

正解とか不正解とか

ないと思うので。

 

 

良かったらあなたも、

どんな風に人生を終えたいか、

一緒に考えてみませんか?

 

 

 

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丸ごとで最高のあなたが

発揮されますように。

 

 

赤薔薇高橋 佳那赤薔薇

 

 

 

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