「大丈夫ですか?」

トイレを出ると、そこには駅員が立っていた。

「ええ。」

「何か大きな音がしたようでしたが?」

「少しめまいがして、ドアに倒れかかってしまったのです。」

「そうですか。宜しければ少し休んでいかれてはどうでしょうか?」

「結構です。急いでますので、、」

俺はその場を後にして歩き始めた。そのとき、携帯が鳴っていることに気づいた。
SATO4からだった。

「もしもし。」

「俺。SATO4だけど。」

「おう。久しぶり。どうしたこんな朝早くに。」

と言ってもすでに11時前か。

「うん、今日金曜だし、久々に飲みにでもいかないか?」

こいつと飲むのも久しぶりだな。この5年の間にすっかり疎遠になってしまっていた。昔は毎日のようにつるんで遊びに行っていた。久々に飲むのも悪くない。それに、今朝のトイレでのことも話したい、こいつに話したい、と思った。

「ちょうどいい。娘も家内も、旅行で家を空けてるんだ。
うちにこないか?いい酒が手に入ったんだ。秋田の酒だ。」

「オーケー。じゃあ9時頃に行くよ。」


電話を切り、会社へと急いだ。千鳥ヶ淵は桜が満開で、多くの花見客で賑わっていた。

今日は風の強い日だ。そういえば大陸からの黄砂も舞っているとニュースで言ってたな。その時だった。花吹雪とひとごみの中、前方にうっすらと茶色い人影のようなものが見えた。次の瞬間、あたりがまっくらになり何も見えない。何も聞こえない。風の音、自分の呼吸音すら聞こえない。すべての感覚がなくなっていく。ただ一つだけ感じることができるのは、茶色い影の存在。すべての感覚がそいつに向かって行き、それがピークに達した時、はっとした。

「KEN5?」

そう思った次の瞬間、花見客でにぎわう景色が姿を現し、茶色い影は消えていた。俺はその場に倒れ込んだ。
誰かが叫んでいる。救急車を呼ぶよう叫んでいるようだった。薄れて行く意識の中で、 いくつかの場面がフラッシュバックする。

楽屋で首を吊っているKEN5。
右手にナイフを持っている俺。
前後は何も思い出せない。

うっすらではあるが、俺の中にはそういう記憶がある。
いや正確に言うと、「俺自身の記憶かどうかは分からない。でも俺の頭の中にはそれがある。」


気づいた時には病院のベッドにいた。時計はもう16時を指していた。眠りの中で俺は何かを思い出していた。それはきっとこの5年間目を背け続けてきたもの。まだ頭がぼーっとしていてなかなか思い出せなかったが、しばらくして、俺はそれが何かを思い出すと同時に全身に寒気を感じた。

5年前、楽屋で首を吊っていた人間。



―――――あれはKEN5じゃない。



続く


-TETSU6-














気づけば、5年。



この工場に来て、5年が経っていた。

僕は来る日も来る日も鉄柱を運んでいた。東のエリアから、西のエリアへ。


今日も僕は鉄柱を運んでいた。東のエリアから、西のエリアへ。


運んだ鉄柱の累計は分からない。幾度となく運んだ。山積みになっている鉄柱を、山積みされている鉄柱へと。我を忘れて。我を忘れて?


そう、今日は乾いた風が頬にピリリと刺激を与えるほどの湿度だった。そのせいだろうか、北から黄砂を乗せた風は日本領土の砂をも舞い上げ、まさに僕までも巻き込もうとしていた。本来なら、目を瞑ってそんな砂などやり過ごしてしまうのだが、今日は、日本と大陸とが混じる砂のグラデーションが、まるで目に見えているような錯覚を起こしたので、僕はそれに見入っていた。


しまった!と思い、鉄柱を持ったまま慌てたが、なんと砂は僕を通過していたのだ。


どういうことだ?気づけば、5年間運び続けたはずの鉄柱は1本残らず、消えていて、21世紀最大の不景気で潰れてしまった工場の跡地と僕だけがいた。


ここにあったのは意識だけだったのか。そう気づくには遅すぎたかもしれない。しかし、それでも僕は遣り残したことに気が付いた。あの瞬間からの記憶がないのである。あの瞬間から、僕は精神と肉体が分離し、精神だけが北九州に移動してきたのだ。



あの瞬間。



あの瞬間に隣にいたのは、間違いない。TETSU6だ。


僕は肩に載せていた最後の鉄柱を放り投げ(もちろん、それは地面にバウンドする前に消えてしまったのだが)、新幹線に乗り込み、東京を目指した。




―――SATO4が殺されてしまう―――




続く



-KEN5-

嫌な夢を見た。

どんな夢だったか思い出せないが、きっと思い出さない方がよいのだろう。

「北九州に転勤する」

昨日からそればかりループする。

頭が痛い。

きっと昨日の酒のせいだろう。そう思いこむ。

「北九州に転勤する」

頭の中で声がする。もう事実から目を背けるのはやめろ。

目を閉じて深呼吸する。
記憶を辿る。

俺達、いや俺は大事なことから目を背けてきた。
あの日、最後のライブの日、KEN5は死んだ。

北九州行きを告げたKEN5は、俺達が帰った後の楽屋で首を吊った。

楽屋には内側から鍵がかかっており、警察は自殺と判断した。

事件後、俺は小さな違和感を感じていた。それは漠然とした不安だったが、徐々に恐怖に変わった。恐怖が確信に変わった時、俺は心を凍らせた。
この5年間、常に逃げ続けてきた。だがついに恐怖と対決する時がきたのだ。

俺は携帯を手に取りTETSU6の番号へダイヤルする。




―――――犯人はTETSU6だ。


続く


-SATO4-