KEN5がバスに揺られていた頃、TETSU6は地下鉄東西線に揺られていた。
窓に映る自分の顔を見ながら、
「今日も顔色悪いな・・・。」
とつぶやく。この1ヶ月、まともに寝れた日は数えるほどだった。

九段下の駅につくと、すぐさまトイレに駆け込んだ。
「う、うえええええっ。」
ろくに飯も食べていないから、出てくるのは黄色くて甘酸っぱい胃液だけだ。
とめどなく嘔吐感が押し寄せた。

こんな時、決まって俺は右手をにぎり、親指を太ももに叩き付けてリズムを刻んだ。
頭の中には重低音が鳴り響き、人気絶頂にあったあの頃の映像が
鮮明に頭の中に蘇る。

そうすることで気持ちを落ち着けるのだ。
でも、その映像はいつも同じところで終わる。

――――「北九州に転勤する。」

その先がどうしても見えない。
俺は、この5年間、ずっとその先を見ようとしてきた。
でも駄目だった。
当然だ。tokyo456headは解散こそしていないものの、無期限活動停止を
発表して、世間からもその存在は完全に忘れ去られていた。

失われた5年――――

俺はこの5年間の人生をそう呼んでいた。

「ちくしょう・・・!」

ドンッ!!

拳をトイレの扉に叩き付けた。赤い鮮血が白いキャンパスをつたい、流れる。

コンコンッ

そのとき、外から誰かがノックした。

続く

-TETSU6-








200X年3月2日


ようやく引越しも落ち着いて、今日から新しい部署での生活が始まる。

今までの東京の派手な生活とは一転して、工場勤務での寮生活だ。


寮は昭和に建設されたモダンな作りではあるが、外の塗装をやり直しただけの古い木造4階立て。

工場はいわゆる「3K」と名の付く、公害対策に管理職が頭を悩ませているのが容易に想像できる職場のようだ。


僕の仕事は生産管理で、工場全体を見渡し技術面から現場をサポートし、製品の品質管理を行う仕事だ。

3月の間は研修期間なので、まだ具体的なことは何もわかっていない。



これからの生活のことを考えると、好奇心と後悔が交じり合う。



―僕は東京を離れてよかったのだろうか?



移動に電車も使わないこの街で、僕はバスに揺られていた。



続く




-KEN5-

KEN5が東京を去って既に5年。

時が経つのは早い。


あの時から、残された俺たちの状況は変わってしまった。


TETSU6は2年前に結婚して、一児の父親。

最近はめっきり飲む機会も減った。

奥さんとの仲は早くも冷めきってるようだが。


俺はというと、会社を辞め、フリーのライターとして

週刊誌の下世話なゴシップ記事を大量生産している。


俺たちはどこで間違ったのだろう?


家賃4万円、風呂なし木造アパートの冬は寒い。

安酒をあおりながら、俺は珍しく昔のことを考えていた。


朧げな記憶を辿ると、いつも同じ場面がループする。


人気絶頂にあった俺達。

その日のライブも大成功だった。


アイツはあんなことを言い出すまでは。

そう、すべては5年前KEN5が言った一言が始まりだった。



――――「北九州に転勤する。」


続く


-SATO4-