光を求めて
例えば私が植物だとして。
生まれたてを種と置き換えたら、
足りないものは土と水と光。
種自身に足りないものって、
あるのかな。
芽が出て、土と雨と風と陽の光、
そして、それらに織り成される
湿度や温度、
私は葉を増やして伸びていって、
蕾をつけるかもしれない。
でも、それは、未熟でも、
未発達でもない。
花が咲いていなくても、
立派に植物だ。
生きていることで、
吐き出す酸素があったり、
虫のお腹に入る葉っぱがあったり、
土に張り巡らした根の間は
誰かの心地いいベットかもしれない
そして、蕾は、膨らむかもしれない
花が咲くかもしれない。
実をつけるかもしれない。
だけど、どの瞬間が成熟だなどと、
一瞬を切り取れるだろうか。
種の時、既に全ては備わっている。
そして、外からの関わりとともに、
その形を変える。
ただそれだけのことで、
何色の花がいいとか、
何センチまで伸びたらOKとか、
種はこぼさなくちゃとか、
そんなことはないはず。
何処かに出荷される、
特定の誰かに認められるための花
でないかぎり。
私達もそれとおんなじなんじゃ
ないかな。
人生、七光り。
働いた結果得るお金は、
後に来て、また、使うのはその先。
時間軸で言うとお金は後から来て
更にその後で消費される。
心を今に感じて満足したら、
それは、いつも、そこにある豊かさ。
これ、すごいのが、感じても感じても
減るどころか増えるばかり。
過去になった豊かさはもちこされて、
どんどん今の満足や幸せという
豊かさが積載されて
消費されるということがない。
人生の先を案じて、
お金を蓄えたり、
自分に投資したりすることと、
今に気持ちを置いて過ごすことを
考えたりするのに
これを一度認識したのは、
なんだか良かった気がする。
(もしかして、人々が
『今』を満喫するのが下手になって
しまったコトの起こりは、
貨幣の出現からかもしれない?
そう ふと思った。
これは、余談。)
嬉しいことに、
人生の満足というものは、
生まれたての何も持たない
裸んぼの時、既に皆にひとしく
機会が与えられていて、
裸一貫でもう、そこに、
だれにも美しさと愛と豊かさは
備わってる。
それを見るも見ないも、自分次第。
不遇だと思うかどうかは自分次第。
足りないと思うかどうかは自分次第。
楽しいからもっと!とするのも、
自分次第。
私の人生は七光りだ。
上記のアイデアは
「先が不安で今を生きれない」
という仲間の言葉から得た閃き。
人生を真摯に生きる
彼女の前向きな光が
私の中のプリズムを通って、
私に見せてくれた言葉。
私の人生は、
周りの全てが放つ光に射されて
世界をみせられて成り立っている。
私は、いつも、そこに生まれる
美しい煌めきを享受している。
最近凄く思う。
全然、私のものではない。
私は何もしていない、
何も生んでいない、
ただ、そこにいて、
大好きな人たちから、
煌めきを沢山貰い続けて
今の豊かさがあるなぁって。
時間の楽しみ方、
美しいものの見つけ方、
素敵な音楽の楽しみ方。
みーんな、
周りの全てに教えてもらった。
だから、わたしは、この、七光りを
綺麗に映し出せるように、
このプリズムをピカピカに磨いて、
純度を高めていればいい、
それだけなんだ。
これが、最近の、発見。
LUCY
WE NEVER REALLY DIE.
傑作、観てきました。
2014の映画No.1確定。
そして、もしかしたら、
一番好きな映画…
いや、好きな、を入れることに
なんだかちょっと違和感。
No.1 movie ever seen.
かもしれません。
とにかく響いてしまい、
ところどころ涙が出たけれど、
どのシーンで涙が溢れたかは
記憶になく、
エンディングでは、嗚咽。
エンディングロールが入って
部屋が明るくなるまでに
時間があることに
ひと安心しながら、
自分の嗚咽を感じて、
笑っているのかなんなのか
わからなくなりながら涙を流し
明るくなるまでにすっきりして。
ただ、できれば、見終わったあと、
好きなだけシャバーサナ
していたかった。
(ヨガの死者のポーズ)
私の中身が、このタイミングで、
この映画を映画館で一人で観れて
この全ての巡り合わせに
bravoといいます。