アイルトンに捧ぐ(アイルトン•セナ•ダ=シルヴァ 没後30年目の命日に) | It’s not about the ski 遅れて来た天才スキーヤー???、時々駄洒落(笑)、毎日ビール!(爆)

It’s not about the ski 遅れて来た天才スキーヤー???、時々駄洒落(笑)、毎日ビール!(爆)

スキー大好き、ゴルフ、読書、映画、演劇、音楽、絵画、旅行と他の遊びも大好き、元々仕事程々だったが、もっとスキーが真剣にやりたくて、会社辞めちまった爺の大冒険?











1988年🏆、1990年🏆、1991年🏆の3度のF1🏎世界チャンピオン🏁に輝くブラジル人の天才F1ドライバー アイルトン・セナ🇧🇷がイタリア🇮🇹のイモラ・サーキットで行われていたサンマリノGPで、命を落としてから、今年で30年になります。




事故は1994年5月1日(日)、イタリア時間14時17分(日本時間21時17分)に起きました。享年34歳。




アイルトンを追悼するために、私が2010年に観たアイルトン・セナのドキュメンタリー映画「アイルトン・セナ~音速の彼方へ」の感想記事をここに再録致します。



アイルトン・セナという偉大なF1パイロットがいたこと、人間的にも非常に魅力ある人だったことを決して忘れないでいて下さい。










以下再録。




映画はセナが単身ブラジルから出て来てヨーロッパのゴーカートで頭角を現した頃からを時系列的に追って行く。

冒頭の若き日のセナを見ていきなり目頭が熱くなる。
しかし、F1のTV中継以外で良くこれだけのセナの映像が残っているものだと思う。

83年トールマンからデビューしたセナが雨のモナコで 前のマシンを次々にかわして、先頭プロスト(マクラーレン)を追いかけ回しての2位。84年ロータスに移籍後の雨のポルトガルでの初優勝。
どちらも日本でF1が本格TV中継される前の貴重な映像だ。




88年マクラーレンに移籍したセナ。プロストとの激しいライバル関係の始まり。ただこの年の2人はまだ表面的には仲が悪くはない。

鈴鹿の日本GPでスタートに失敗して16位まで落ちながら、前のマシンを次々に抜いて、最終的にはストレートから1コーナーで先頭プロストを抜いて優勝! 初のチャンピオンに。

あの日、あの場所に同じく若かった私もいてそのレースを見ていたのだ。
セナの残された映像を見るといつも懐古の情と複雑な思いが去来するのは、ややオーバーだが、セナと同時代を生きて来たからだろうか。




89年シーズン、マクラーレン・ホンダの強さは益々絶対的になるが、セナとプロストの対立はお互いに口をきかないまでにエスカレート。

セナもプロストもインタビューで相手の悪口をストレートに言い合う、日本人にはちょっとびっくりなくらい。更に当時のFIA会長フランス人のバレストル(当然プロストびいき)が絡んで事態は政治的になって行く。

そして、チャンピオン決定の舞台はまた鈴鹿。この年私は鈴鹿には行っていない。TVで観戦していた。プロストが先頭。セナは2位。このレースでセナがノーポイントに終わるとプロストのチャンピオンが決定だ。

そして終盤セナがついにシケインで仕掛ける。セナがインを刺してセナのマシンのノーズが一瞬前に出た様にも思えたその瞬間、プロストが右にステアリングを切り込んでドアをふさいだ! 両者接触してスピンして止まってしまう。

鈴鹿が凍りついた瞬間。鈴鹿の日本GP、いやF1史上でも、最も有名なアクシデントの一つだ。




プロストはさっさとマシンを降りてしまう。

セナはオフィシャルにマシンを押させて避難路からコースに復帰。ピットインしてダメージを受けたノーズを交換して、次々にマシンを抜いて先頭に立ったナニーニ(ベネトン)を猛追、またもシケインで仕掛けて遂にトップに、そしてチェッカー!

一方、マシンを降りたプロストはセナのレース続行を見てレース コントロールに直行。この辺の流れは報道では知っていたが、プロストの動きが全て映像が撮られていた事に驚きだ。



レース後、表彰式がすぐに開かれない異常事態。建物の外からだがセナもレース コントロールに呼ばれる映像まで残っている。



そしてシケイン不通過、セナ失格の裁定。プロスト、3度目のチャンピオンが確定。

シーズン終了後、FIAは危険運転を理由にセナのスーパーライセンスを6ヶ月停止処分にしてしまう。この映画を観て、たしかにそういう事があったと思い出した。

一方、いつ、何処でのアピールなのか、マクラーレン代表のロン・デニス(若い!)がセナの処分に異義を唱える場面。他のレースの例だが、シケインでコースオフ後シケイン不通過でコースに復帰して失格になっていないビデオを見せている場面も続く。




この映画でセナの車載映像が多く出て来るが、現代のF1とはだいぶ様子が違う。

カメラの搭載位置が違うせいも少しはあるかもしれないが、当時のF1マシンは今のものより最低地上高の規制が緩く、出来るだけ地上高を低く、またマシンの姿勢変化を最小化してグランドエフェクトを最大限に利用出来る様、サスペンションがガチガチに硬めてあったと思う。

よって路面の凹凸を車体が拾ってステアリングにその振動が直接来ている感じ。セナもそれを捩じ伏せている感じ。カウンターを当てている場面すらあった。

そういうマシンは誰よりも早く走らせていたセナの凄さを改めて思った。




さて、映画は90年シーズンへ。セナを嫌ってプロストはフェラーリに移籍。セナのライセンス停止がどうやって解けたか映画も描いてないし私も忘れてしまったが、とにかくセナは90年最初からGPに参戦出来た。

そしてチャンピオン決定の舞台はまたも鈴鹿。前年と違うのはリードしているのがセナで、プロストがノーポイントに終わるとセナの2度目のチャンピオンが決まるという去年とは全く逆の状況だという事。

そして私も2年ぶりの鈴鹿、2コーナーとS字の間の席にいたのだ。

セナとプロストの89年のシケイン事件がそもそも因縁だが、それ以外にも伏線があった。

90年当時、鈴鹿のポールポジション(PP)のグリッドはインサイド側だったが、セナは走行ライン上でラバーの載っているアウト側の方が有利であり(現在はそうなっている)、PPのグリッドを変更する様FIA(国際自動車連盟)にアピールしたのだ。しかし、その訴えは却下され、スタートが切られる。




セナの言ったとおり、2番手のプロストのフェラーリの方の加速が良い。しかし、セナのマクラーレンもホンダV12のパワーでストレートエンドまでに差を詰める。

第1コーナー、セナはブレーキングをギリギリ&まで遅らせ、セナのノーズがプロストのマシンのインに入ったかその瞬間、もう第1コーナー。プロストはステアリングを切りインに、両車絡み合う様に接触! そのまま2台は第1コーナー奥のダートに。

その時、2コーナーとS字の間の客席にいた私に見えたのは砂埃と観客の悲鳴。2コーナーをセナとプロストが回って来ないという事実。

そして、この瞬間、セナの2回目のチャンピオンが決定!

映画はその後、フジテレビの川合レポーターが1コーナーから徒歩で帰って来るセナにインタビューするところを映し出す。私自身は東京に帰ってからTVで見る事になる非常に印象的な場面だ。




川合リポーターにマイクを向けられたセナの反応について書く前にひとつ思い出した。

レース前のドライバーズミーティングのシーンがある。良くそんなところを撮影していたものだと思うが、シケインの通り方についての注意をバレストルらFIAがしている様子。

するとネルソン・ピケが挙手をして「去年シケインでヘマをしたセナが」とセナのドライビングを非難。するとセナが「悪いけど、こんなミーティングには一緒に居られない」と言って怒って会議室から出て行ってしまうのだ。

そして、川合リポーターからマイクを向けられたセナ。長い沈黙。遠くを見つめる様な、どこか悲しい目。そして、暫くして漸く噛みしめる様に話し始めるセナ。フィクションではない、カメラが真実を捉えた名場面だ。

ちなみに映画にその場面はないが、90年の日本GPは鈴木亜久里が3位で日本人初の表彰台に上るという、日本人には特別なレースとなったのだ。




さて、迎えて91年。

チャンピオン争いはマクラーレン・ホンダのセナとウィリアムズ・ルノーのナイジェル・マンセルに絞られ、またしてもチャンピオン決定の場は鈴鹿の日本GP。当時は鈴鹿が最終戦、若しくは最後から2戦もという事が多く、セナ以後のシューマッハ、ハッキネン等の時代も鈴鹿が度々チャンピオン決定の舞台となっていたのだ。

91年の日本GP。このレースを自分が見に行ったのか、どうも記憶が定かでない。

87年、88年、90年の記憶が明確なのに、それがないという事は行ってないという事だろうが、中嶋悟(ティレル・ホンダ)がS字手前でクラッシュして観客に手を振り別れを告げるシーンは見た様な気がする。そう、この年は中嶋が引退した年なのだ。

いずれにせよ、この年、セナ(マクラーレン・ホンダ)のポイントを追いかけるマンセル(ウィリアムズ・ルノー)が何周目だったか忘れたが、1コーナーでスピンしてダートから出られずリタイア。その瞬間にセナの3度目のワールドチャンピオンが決定。

ブラジルの英雄エマーソン・フィッティパルディの2回を抜きジャッキー・スチュアートやアラン・プロスト等の偉大なチャンピオンと肩を並べた訳だ。

レースは独走のセナが最終ラップで2位のゲルハルト・ベルガー(マクラーレン・ホンダ)に1位を譲るという、これまた後で物議を醸すオマケが付くのだが、映画にその場面はない。

そして、迎える92年、アイルトン・セナという天才とマクラーレンとホンダエンジンの最高・最強の組合せで暫くはセナがF1に君臨するものと誰もが思っていた。

91年がセナがチャンピオンに輝く最後の年になるとは想像だにしていなかったのだ。




この一連の記事はたかだか映画の感想なのに、セナへの思い入れとレースをTVや鈴鹿で見た記憶がどんどん蘇って来る。ただ、記憶で書いているので、間違いもあった。

前段では、92年はセナの天下になる事を誰もが疑っていなかった様に書いてしまったが、Wikipediaで確認したら、91年はウィリアムズとマンセルの組合せがだいぶ力を付けて来て、マクラーレンホンダの牙城もやや危なくなって来ていたのだ。

まあ、そうでなければ、鈴鹿にチャンピオン決定が持ち越される訳もないが。映画はそこまで詳しくは書いていないので、つい思い違いをしてしまった。




もうひとつ忘れていた事が。これは映画にしっかり描かれているのだが、91年はセナがデビュー以来どうしても勝てなかった母国ブラジルGPに勝った年。

特にレース後半は、ギアが6速にしか入らなくなったにもかかわらず、それをドライビングテクニックでしのいでの薄氷の勝利。

ゴール直後の言葉にならないセナの動物の雄叫びの様な絶叫!

表彰台では自らシャンパンボトルを頭上に掲げて、頭からシャンパンをかぶるセナのお馴染みのスタイル。思えばこれは88年鈴鹿で初めてチャンピオンになった時に始めたのだろうか。




92年はナイジェル・マンセル(ウィリアムズ)と同チーム、ネルソン・ピケとの確執(セナとプロストの様な)もあったが、映画では92シーズンの描写は殆どなかったと記憶。

ウィリアムズの電子制御サスペンションとマンセルが席巻、セナの年ではなかったからだろう。

ただ、セナの特筆すべきレースのひとつ、モナコGPはこの年だった。終盤マンセルのピットインでトップに立ったセナがマンセルの猛追を抑え込み、僅か0.215秒差で4年連続モナコGP制覇、グレアム・ヒルと並ぶ通算5勝で新モナコマイスターとなった。

しかし、映画にこの場面は確かなかった。(記憶が薄れて来た。)

逆に映画にあったのは88年のモナコGP。場面が前に戻るが、思い出した。独走のセナは67周目、トンネル手前のコーナーで突然アウトに孕みウォールにヒット、リタイア。セナはショックの余り、ピットに戻らず、徒歩でモナコの自宅に帰ってしまう。

しかし、この失敗を教訓にこの年セナは初のワールドチャンピオンに輝く訳だ。




92年の映画の場面に戻ると、この年の終わり、セナと共に戦い、セナに3回のワールドチャンピオンをもたらしたホンダエンジンが活動を休止してしまう。

映画にはこんな場面もあった。69、71、73年度の世界チャンピオンに輝く2代目フライングスコッツマン、ジャッキー・スチュワートが同じく3度のチャンピオンに輝いたセナにインタビューする。

「アイルトン、君は確かに3度チャンピオンに輝いた。でも、君は誰よりも多く他車を巻き込んで事故を起こしていて、君を危険なドライバーと言う人も多い。君はそれについてどう思う?」

「ジャッキー、君がそんな事を言うなんて信じられないよ。僕はこの数年で誰よりも速く走って、誰よりも多く優勝している。それが何故危険なんだい? 僕らは競争をしているんだ。レースなんだよ。前に他のマシンがいたら抜こうとするのは当たり前じゃないか! 3度F1を制した貴方がこんな質問をするなんて、ジャッキー、僕は信じられないよ!」

このインタビューの話は有名で記事で読んだ事はあったが、実際の映像を見るのは初めて。

セナは大先輩に対する最低限の礼儀は失っていないものの、その口調や表情からかなり怒っているのは明らか。自分に対するFIAに代表されるF1界に苛立っていたのが良く判る。




93年プロストはウィリアムズに移籍し、4度目のチャンピオンに輝く。セナはホンダが撤退した後のマクラーレンと非力なフォードエンジンの組合せでいくつか見事なレースを見せるが、プロスト/ウィリアムズの敵ではなかった。

そして、プロストは引退。94シーズン、セナは待望のウィリアムズに移籍。最早ライバルでなくなった二人の仲は急速に雪解け。セナは言う。「アラン、サーキットに君がいなくなって寂しいよ。」

しかし、最強のマシンを手に入れたはずのセナに94年サンマリノGP(イモラ)で襲う悲劇。今見ると前日の予選でラッツェンバーガーが事故死したのを知った時のセナの顔。事故現場を見に行くセナ、余りに痛々しい。




映画のラストは冒頭にもあったセナへのインタビュー。

「アイルトン、君の最上のレースは何?」

「それはゴーカートをやりにヨーロッパに出て来たばかりの頃のレースだよ。そこには政治や駆け引きはなかったんだ。純粋なモーターレーシングだったんだ。本物の競争さ。」

そして、エンドロール。監督、スタッフに続き、アイルトン・セナ財団代表理事アラン・プロスト・・・




以上で、11年前の記事の再録は終了です。


長い記事をお読み戴きどうもありがとうございます。

最後にこの映画の予告編へのリンクを貼っておきます。私はこの予告編を見るだけで、涙が出そうになります。

【シネマトゥデイ チャンネル 2010/8/30公開:1分57秒】












No.13012    Day 5413