
4873日目
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おはようございます。今日で震災から4873日目です。
若い頃から 他人に迷惑をかけておいて「お前に関係あんのか?」と言ってくる奴が 大嫌いで、そう言われた瞬間に ブチッって頭の中の何かがキレてました。
子供なんかは 注意すれば大抵は素直に謝ったり、姿勢を正しますが、糞なのが それを囲っている親ですね。
ちゃんとしてるなら 誰も文句なんか言わないんだよ。
そういうバ〇親を矯正してやりたくなりますよ💢
公共の場で 他人に迷惑をかけない、生き物の命の大切さを教える、教育の基本でしょう。
そんな当たり前のことも教えることができない無能が親をやってるんだから 世も末だよ。
親の責任を遂行している方は本当に立派で尊敬しますが、親には誰でもなれますからね。
人として未熟でも親
常識がなくても親
不倫して子供を生んでも親でしょう。
そういうことですよ。
4872日目
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おはようございます。今日で震災から4872日目です。
大切な人の死は 多くのことを学ばせてくれます。
私の内には 人はいずれ死ぬのだから みんな同じ、それが 早いか遅いだけ・・・という気持ちもあります。
そう思えるまでに 沢山の「死」に向き合って来ました。
大体、私たちは「死」が終わりだと思っていますが、誰が決めたの?
もしかしたら「死」が、何かの始まりかもしれませんよ。
明確なのは「死」によって、生きている側との別れであるということだけです。
悲しいのは その別れに対する各々の想いからですよね。
「生」からの卒業とは、肉体からの解放です。
この世に生まれるまでは、向こう側に居たわけだし、死によって向こう側に帰るだけでしょう?なんて考え方も出来ます。
命あるものは 必ず向かうところが「死」なのだとしたら、「死」はそんな悪いことではないのではないでしょうかね。
凄惨な死、不孝な死、そういう最期は迎えたくはありませんが、死ぬ瞬間って 多分 生体エネルギーが枯渇して何も感じなくなるでしょう?
ならば死ぬ瞬間は 全身麻酔をした時のような感じではないのでしょうかね~なんて 想像しています。
「死」が何らかのターニングポイントであることは確かでしょうから、そこに対する意味付けをして、その日を迎えるまでに 今生において何を成すのかが肝要であると考えています。
どう生きようと いずれ死ぬのなら、そこまでに 魂を磨き抜いて やりきった気持ちでその日を迎えたら気持ち良いだろうな~って想像してます。
ポジティブに「死」を捉えられるくらいには成長したんですよね (^_^;)
4871日目
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おはようございます。今日で震災から4871日目です。
先日 バスに乗っていたら、途中の停留所で車椅子の方と介助者の方が待っているのが見えました。
あっ 乗るんだな~と思い、邪魔にならない席に移動をして 手伝えることがあるなら手伝おうと流れを視ていたのですが、流石 介助者の方も 車椅子の方も手慣れたものです。
逆にバスの運転手さんは 滅多に経験がないのでしょう、介助者の方の指示に従って動いている感じでした。
こればかりは仕方がないですね。
経験が無ければ 知識はあっても迅速に対応することは難しいですしね。
見ていたら車椅子も電動でスイスイ動くんですね。
あれは使い慣れていると自分の身体ののように動かせるんですね~
私の頭の中では 車椅子は手動で 介助者が押す、昔のタイプのものからアップデートされていなかったので驚きました😅
私も殆ど見たことのない光景でしたので、なんか色々と勉強になりました。
ただ、一つだけ・・・なんだろう
介助者の男の方が 手慣れていて 車椅子の方に気を遣われていたのは良いのですが、まわりの方々や運転手さんに対する態度というか雰囲気がね~
なんか 会社の部下に対するような接し方というか、高圧的というか、ホスピタリティーに欠けているように感じたのは 残念でしたね。
介助者の男の方が 手慣れていて 車椅子の方に気を遣われていたのは良いのですが、まわりの方々や運転手さんに対する態度というか雰囲気がね~
なんか 会社の部下に対するような接し方というか、高圧的というか、ホスピタリティーに欠けているように感じたのは 残念でしたね。
ああいうのって あれが正解なん?
黙ってましたけど、一言云いたくなるような感じではありましたね😅
