4872日目
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おはようございます。今日で震災から4872日目です。
大切な人の死は 多くのことを学ばせてくれます。
私の内には 人はいずれ死ぬのだから みんな同じ、それが 早いか遅いだけ・・・という気持ちもあります。
そう思えるまでに 沢山の「死」に向き合って来ました。
大体、私たちは「死」が終わりだと思っていますが、誰が決めたの?
もしかしたら「死」が、何かの始まりかもしれませんよ。
明確なのは「死」によって、生きている側との別れであるということだけです。
悲しいのは その別れに対する各々の想いからですよね。
「生」からの卒業とは、肉体からの解放です。
この世に生まれるまでは、向こう側に居たわけだし、死によって向こう側に帰るだけでしょう?なんて考え方も出来ます。
命あるものは 必ず向かうところが「死」なのだとしたら、「死」はそんな悪いことではないのではないでしょうかね。
凄惨な死、不孝な死、そういう最期は迎えたくはありませんが、死ぬ瞬間って 多分 生体エネルギーが枯渇して何も感じなくなるでしょう?
ならば死ぬ瞬間は 全身麻酔をした時のような感じではないのでしょうかね~なんて 想像しています。
「死」が何らかのターニングポイントであることは確かでしょうから、そこに対する意味付けをして、その日を迎えるまでに 今生において何を成すのかが肝要であると考えています。
どう生きようと いずれ死ぬのなら、そこまでに 魂を磨き抜いて やりきった気持ちでその日を迎えたら気持ち良いだろうな~って想像してます。
ポジティブに「死」を捉えられるくらいには成長したんですよね (^_^;)