僕の歴史散策で、もっとも多く登場する場所が今日のテーマです
本日ご紹介するのは、勝浦川を挟んで、徳島市と小松島市の境界線に位置する徳島市丈六町にある丈六寺です。
右側の矢印部が、徳島県の主要道路である国道55号線。
その55号線から県道212号線を勝浦川沿いを西へ進むこと約2kmで丈六寺に至ります。
丈六寺は徳島市内でも有数の紅葉が美しい場所です
でも、だいたい紅葉が美しい時期は遠出ばかりして、なかなか行けていない(´ε`;)ウーン…
それと…
寺院内の多くの建築物や所蔵物が文化財指定されていて、別名【阿波の法隆寺】と呼ばれています。
でも、国指定重要文化財である三門は、ただいま絶賛改装工事中でございます(^▽^;)
形あるものは壊れていく定め。
人間も物もそれは同じ。
古きもの(伝統)は修復されながら、継承されてゆく。
いつか失くなるかもしれないから、大切にしないとですね。
ちなみに改修工事前の三門は、こんな感じ
秋なのに、夏紅葉が素敵です
徳島県内では、最古の建築物なので、そりゃあ傷みもしますよね…
境内の一番奥にある重要文化財である観音堂。
戦国時代にその人生を翻弄された細川真之が建立したものです。
他にも経蔵も国指定重要文化財となっています。
こちらも細川真之が寄進建立したものと伝わります。
そして、本堂。
本堂を建立したのは、阿波の初代国主である蜂須賀家政公。
早世した娘である辰姫の供養のために建立したそうです。
本堂の隣には、棟札(徳雲院)が建っています。
こちらは真之の父である細川持隆が建立し、真之が持隆の法名を付けて、徳雲院と称しました。
有名な益田豊後事件の首謀者である益田豊後は、ここで切腹したとも、津田の処刑場で斬首に処されたとも伝わります。
そして、丈六寺と言えば有名なのが、血天井。
【血天井の由縁】
時は戦国時代末期。
衰退の一途を辿る三好家 VS 姫若子から脱皮して、四国随一の武将となった長宗我部元親が、
阿波の覇権をめぐり、激しく争っていました。
破竹の勢いで、三好家の城を攻略する長宗我部軍でしたが、牛岐城だけは攻略に手を焼いていました。
時の牛岐城主は、新開遠江守道善。
力に勝る長宗我部軍とはいえ、正攻法に攻めるだけでは犠牲が大きくなります。
そこで、元親は一計を案じます。
三好家のために、懸命に働く心意気に感服した。
一旦、和議を結びたい…と、新開道善を丈六寺に呼び寄せ、宴を催します。
しかし、これは罠で、酔いの回ったところで、長宗我部家臣に襲われた新開道善は、惨死します。
新開道善と家臣達の無念は、400余年の時を経ても、天井に血手形として、残ったままとなっています
丈六寺には、多くの文化財や有名人の墓石が残っていますが、特に細川家に縁があるものが多くありました。
そのため、細川家歴代の墓石も丈六寺に全てあります。
細川成之、細川持隆、細川真之。
丈六寺の建立は、650年と伝わるので、今から約1,370年前になります。
ただ、歴史上では、暗愚な君であったと伝わる細川真之ですが、現代の郷土に、これだけ深く信仰されている寺院に多くの足跡を残している点ではかなりの文化人であったと、僕は思っています。
(少なくとも三好のバカ息子よりは、マシです(笑))
戦国時代の残酷な出来事や、国主に逆らった罪で処刑された無念など渦巻く場所ではありますが…
今はすぐ前を流れる勝浦川では、太公望たちが鮎釣りを楽しめるほど美しい清流が流れています
そして、今年も11月1日~3日には、秋の特別公開が実施されます。
皆さんも地元近くにある趣のある場所を訪れてみては如何でしょうか
きっと歴史が好きになると思いますо(ж>▽<)y ☆