海部川風流マラソンまで、あと三日…
松山記事が完成危うし
たぶん間に合いません(^▽^;)
不具合に、監査に、来客に(;^_^A
千客万来(招かざるお客も)
そんなこんなしているうちに、世界では暗殺()事件があったり。。。
日本では、百年も前に悪とみなされ始めた行為を国家主導で実施するなんて、笑えないバカ話ですね。。。
悪は必ず滅びる
なので、このブログでは、楽しく行きたいと思います(≡^∇^≡)
本日は、松山城登城記
言わずと知れた現存十二天守の一つで、日本が世界に誇る名城です
築城者は、豊臣秀吉子飼いの武将であり、秀吉 VS 柴田勝家の信長後継者争いとなった、賤ヶ岳の戦いで活躍した加藤嘉明公。
愛媛マラソンのスタートは、城山公園下にある愛媛県庁。
その愛媛県庁から登城できる裏道と、大街道口(ロープウエイ乗り場)から繋がる東雲神社から登城するルートがあります。
待合番所跡。
隠門(かくしもん)
筒井門の横に備え付けられた門で、窪んだ部分にあるので、敵が筒井門に殺到した時に、脇から敵に一撃を与えることが出来る造りとなっています。
右側(黄色矢印)が、筒井門。
左側(オレンジ矢印)が、隠門。
敵が攻め入って来た時に、筒井門に殺到する敵を櫓から攻撃し、さらに隠門を開き、サイドからも一撃
どんなお城にも仕掛けはありますが、これが松山城の特徴①
筒井門、隠門の広場から道後温泉方面を望む。
櫓越しの松山市中心部(松山市駅方面)を望む。
松山城の特徴②
天守を含む櫓群が、連立式となっており、天守まで攻め入ったとしても四方から攻撃できる。
※写真は、太鼓門からの櫓を見上げた図。
太鼓門は、まさに現存天守を備えたお城に相応しい風格がありました(≧∇≦)
松山城の特徴③
それは、天守まで到着するまでに幾度も敵の前に聳える石垣群。
石垣上からの攻撃に加え、聳え立つ石垣はまさに要塞感が抜群
敵からすれば、怯みますね
松山城の特徴④
登り石垣と言われる特徴的な石積みが残ります。
これは彦根城など、日本国内では、一部の城跡にしか見られない石積みです。
秀吉が朝鮮出兵を行った際に、朝鮮半島に築いた倭城(わじょう)などで見られる造りです。
赤矢印の方向に向かって、登るような構造で石垣が築かれています。
こじんまりした小さな天守ですが、僕はどちらかと言えば、小さい天守が好きかも(≡^∇^≡)
姫路城や松本城のような大天守も魅力的ですが、小さい天守はその下を支える石垣を従えている感じが凄く感じられるんですよね
なので、彦根城、丸亀城も大好き(≧▽≦)
天守から松山市内中心部(JR松山駅方面)を望む。
春の訪れを告げる梅や桃の花が、ちらほらと咲いていました
県庁付近では、古墳群も発掘されており、築城される場所 = 古墳跡が多いのは立地条件が良いのでしょうね。
松山城は二の丸庭園も整備されていますので、散策には最高です
この日は、僕は目的地が多かったので遠慮しましたが(笑)
松山城は、築城開始(1602年)から完成(1628年)まで、約26年もの歳月を要したお城でした。
加藤嘉明公が、それだけ心血注いだ証拠ですが、完成前に加藤家は会津に国替えとなり、完成を見ずに転封されます。
それは、徳川幕府がすでに盤石の態勢を築いており、同じ土地で強い力を持つ大名を作らない政策の犠牲だったとも言われます。
湧き立つ雲さえも演出の一つみたいに感じる松山城。
石垣の上に聳える勇壮な姿は、マラソンを走ることを忘れるほど歩き回る結果を招いてくれました(笑)
次は、こちらへ
すでに次のマラソン大会が迫っているので、順番がメチャクチャですが
ご容赦のほど(^▽^;)