問題の本質が
見えていない
ひとびとが、
一方的に
ここは
「見かけ民主制」
をとってるため、
「強制する
全体主義を
選択」
しやがって。
俺は
反対
馬鹿は迷惑だ。
2000年になる手前
「ら抜き言葉」
論争があり、
国文学者たちが、
猛反対した。
日本人だが、
国文法をフワッとしか習ってない一般家庭の主婦たちが、
猛反発した。
ふつうに話す行為の中で「国文法なんて
不要だ❗
ら抜きがダメたあ
そっちのがおかしい」
当時ネットはない。
報道はここまで。
何があったか
2024年ネット検索してもなにも出てこない。
が
国文学者は
この件を最後に
表舞台から去った。
🐤
2000年以降
それまでなかった
日本語講師が
国文学者の替わりに
徐々に徐々に
つかわれはじめた。
🐤
「国文法」
と、日本語講師がつかう「日本語の文法」は
べつもので
耳にする内容
ネットで見る内容に
いちいち
へーーっ
驚かされるものばかりだ。
🐤
西暦2000年の前後
何か
与党議員と国文学者の間に事件がおこり
日本語が画期的に
変貌して
しかも相当な速さで
国文法の見地から
崩れた。
1900年代なら
間違いなく国文学者が
媒体に出演して
国民に説明していた場面でも、2000年から
こっち
一切すがたを現すことはない。
みな
ひっそりとなりを潜めてその潜伏先で講じているのであろう。
言っても無駄である。
ひとびとが
家に置き
24時間目耳にするあの媒体を信仰している限り悪化の一途を辿る。
あの集中砲火を堪えてまで説くほどの対価など微塵もない。
🐤
俺も先人のごとく
だ。
ひとには2とおり。
問題の本質がわかるかわからぬか。
🐤
ただ、
俺は問題の本質がわからぬひとびとが投じた
その圧倒的多数決の
結果は賛同しない。
俺はみえるひとなので
多数決の多数派たるひとびとには
見えない。
巻きこまれるのは
断固
ことわる。
🐤
雙葉でも百合でも
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