スライダーズおやじ -66ページ目

振休でネカフェ

せっかく休みだし、ひとり海水浴&ラーメンにでも行ってこようかなーと、一瞬思ったがなにか嫌な予感(?)がしたのでやめといた。
 
近所の坦々麺専門店に行った。いちおしという青花椒のしびれ坦々麺。
これがまた凶悪で、何度も息が止まった。
いちおしのデフォルトでこれか。味なんてわからんかった。一本唐辛子をかじったけど、辛さなんて全く感じない。
しかも極細麺であっという間にのびるので、早く食わなきゃならんし、これは命にかかわる。
 
この店は「香家」といって、結構そこらじゅうにあるんだけど、毎日前を通る三田店の看板を見たら、写真は細麺ではなかった。店によって違うんだろうか。
 
 

んで、暑いので五反田のドンキで酒を2本買って、ネカフェで漫画を読むことにした。
スマホで会員登録をしたんだけど、結構大変だった。僕がまごまごしている間にも、何人かお客が入って行った。
若い女子単独が半数くらいいてびっくり。10代20代のミニスカートの女の子。
出会いのない若者はネカフェいいかもしれんぞ。
※家に帰って細君にその話をしたら、夏休みだからだとのこと。
 

ドリンクバー。
おれはケーキでもチョコでも塩でもなんでもつまみになる男だ。
 

ソフトクリームで飲む。
 

コーンスープ4杯飲んだ。
マンガはMFゴースト。2巻まではネットで無料で読めたので、3巻から。
 

なんかこの作品、「譲る(ゆずる)」が「ゆづる」って書かれていて、非常に違和感。
何度も出てきたので、敢えてこうしているんだろう。なぜじゃ?
 

古い車を愛する趣味。

なるほどなあ。まあ、そうかもしれないなあ。どうなんだろう。
細君はなんとなく、わかってくれそうな気はするけど(もとガソリンスタンド店員です)、でも本心では最新型の車がいいと思ってるかもしれないな。


女でエアコンもない70年代のスポーツカー乗ってる知人はいるけど、彼女は特殊すぎる。

 

そいや、バリバリ伝説とか頭文字Dと違って、顔がパンパンで目玉がでかい。時代のトレンドなのだろうか。
あ、俺はこの作家の作品関連の仕事を4回くらいやってます。なので、趣味と仕事の両方からこれ、読んでおかねばならんのだ。
※ここに掲載した画像は持論展開のための著作物の引用の範疇なので問題はないです。
 

頭文字Dに登場するキャラクターたちがのきなみおっさんになって出てきます。
 
でも、あんまり見分けつかない・・・。なんてーのかな、なんかみんなただのサラリーマンのおっさん風。
おれはまわりに、ステレオタイプな、ワイシャツネクタイになった友達や同僚がただの一人もいないせいか、この偏りにすごく違和感を感じる。
 
いま俺の目の前にいるのは、あと2年で定年という歳なのにアタマをピンクに染めてる、ジャージ羽織ったインチキなジジイ。
俺の真後ろの席には真っ赤なTシャツしか着ない、定年まで3ヶ月のカープファン。
おれも人のことは言えず、サンダル履きでズボンの裾たくしあげて、バーベキューで川遊びしてるような格好かもしれない。
 
社外の友達は男も女も、かっこいいやつが多い・・と思う。
一様にくたびれたおっさんの姿になってるのはなんなんだろうな?
藤原拓海がどんな姿で出てくるのか、楽しみにしておこう。
 

途中で眠くなってきたので帰ることにした。次は12巻から読みます。
6時間コースだけど4時間半くらいの滞在でした。
少し若い頃ならもったいねえとか言って6時間ギリギリまで粘ると思うけど、おれも歳ですかねー。
 
 
 

仕事ナシの休日出勤日の振休

明日は一昨日の日曜日の振休です。

 

とはいえ、一昨日は当日の朝に「今日していただくことは無くなりました」と電話で連絡を受けたもので、何もしなかった日。

 

それなら休日出勤ではないのではないかとも思うのだが、「家に着くまでが遠足」と同様に、仕事をしている時間だけが仕事というわけではないのだ。

 

ワクワクして眠れない前夜から、遠足が始まっているのと同じだ。明日は仕事だからと、早く寝ようと努力するのはすでに仕事なのである。

 

日曜日が休みだとわかっていれば、土曜は夜遊びに出かけられただろうし、寝落ちするまで深酒なんてのもできたし、ニンニクマシマシもいけたわけで。

 

そういう理屈で、何もしなかった日の振替休日が発生するわけです。

 

 

さて、なにしよっかねえ。

 

酸っぱいイチゴ

起きて、「昼飯は何を食べようかなあ」と考える。

正午になって、「昼ご飯どうしようかなあ」と悩む。

昼飯を食べ終わると、「明日は何を食べようかなあ」と思う。

正直、毎日がこんな感じ。

 

今日はルーティン的にほっともっとの唐揚げ弁当かなと思ったけど、昨夜妻が「今日の晩ご飯に油淋鶏を作る」と言っていたのを思い出して、パイコー坦々麺を食べた。この店は今月6回目。

 

 

 

 

昔はこんな風ではなかった気がする。そもそも、お腹が減ってから考えた。選択肢もそんなに多くなかった。外食=美味しいものを食べる喜びの時間、という発想もなかった。

 

僕が今の会社で働き始めてもうすぐ37年。当時驚いたのは、東京の人たちは普通のお昼が一食1000円もすることだった。

 

立ち食いそばや吉野家、カレースタンド、マクドナルドなどはあったけど、それらのファストフードは東京の人たちにとって、自ら選んで行くわけではなく、時間の節約のために使う感じだった。

 

僕はそんな人たちに驚きながら、am-pmの冷凍コンビニ弁当を食べていて、たまに誘われると「毎日の食事に1000円はもったいない」と思いながら付き合っていた。

 

2年後に家族を東京に呼び寄せ、そこからは弁当持参が多くなった。10年前に夫婦二人きりになった時に弁当作りが廃止になって、それからずっと外食やほっともっとの弁当。コンビニ弁当はあまり食べないが、休日に一人で家で酒を飲むときにおつまみとして買ってくることはある。

 

酒といえば、僕はそういえば、毎晩酒を飲む習慣がなかった。酒を飲むようになったのは40代に入ってからだと思う。それまでどんな生活をしていたのか、思い出せない。

 

この20年くらいで、美味しい外食が当たり前になった。たぶんグルメブームとネットの食レポ口コミの相乗効果だろう。美味しいと言われないと淘汰される感じ?

 

僕がインターネットを始めたのは1995年。そのとき抱いたイメージは、いろんな知識の交流が誰の手にも届く場所で知識の山を作っていくというものだった。(なんか変だな)

 

平たく言えば、正解に簡単に辿り着けるようになるというもの。漠然と、建設的で明るい未来のイメージしかなかった。そして社会が劇的に進化するだろうと思っていた。

 

でも実際にネットが浸透し、空気や水などと同等の当たり前のものになった今思うのは、過剰な他人との比較だ。それまで「自分は自分、他人は他人」が普通だった。

 

小説などの創作物では、ステレオタイプに「優雅な暮らしをする人」「不遇の人」が並べられていて、自分はそのどちらでもない位置から物語を楽しんだ。テレビに出ている有名人は、ブラウン管の中の人だった。毎週新しい衣装で歌番組の司会をしている有名人を見ても、僕には関係ないし、別の世界のものだとしか思わなかった。

 

しかし、いろいろな情報共有が進む中で、同級生の誰々がどこの大学を出てどんな仕事についてどんな家に住んでどんなものを食べているかなどといったことが自分の知るところになる。芸能人の日常が晒されることで、大スターと自分との垣根が消えていく。

 

それまで憧れの有名人の影響といえば、髪型を真似る、似た感じの服を探し回るといった程度だったのに、紹介されていた店で同じものを食べる、同じブランドの高価な服や家具を買う、はては同じ街に住むまでいってしまったりしている。

 

過剰な他人との比較。先進国に共通する少子化問題も、結局はインターネットの弊害なのだろうと思う。養育費や学費などの支出を考えたら子どもは一人が限界だとか、自分の理想とするライフスタイルを犠牲にしたくないとか、SNSで一目置かれたい、自己満足を得たいとか?

 

とはいえ、僕は人間は増えすぎても碌なことにならない(宇宙移民とか1年戦争とか)と思うので、自然淘汰の範囲、それも良いことだと思っている。ただ、日本の文化は好きだし、侵略されて消えるのは嫌なので、日本の少子化は比較的ゆるやかに進んでくれるよう願っている。

 

優秀な人が優秀な遺伝子を多く残していく未来とかって言うんですかね。進歩ってそんな感じなんでしょうね。

 

いちごもトマトもサツマイモも、甘くなったよね。甘いやつしか売ってない。

 

舌が肥えると、不味いものは食べられなくなる。不味いものを食べるくらいならご飯抜きのほうがマシと思ったりもする。

 

これはトラップ。僕もふるいにかけられている。

 

↑ChatGPTに整えさせた文章

ChatGPTに表題として適切なのを訊ねたら「日常と食の変遷」だそうです。

 

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<原文>

起きて「昼めしは何食おうかなあ」。

正午になって「めしどうしようかなあ」。

昼飯食いおわって「明日は何食おうかなあ」。

 

正直、毎日がこんな感じ。

今日はルーティン的にほっともっとの唐揚げ弁当かなーと思ったんだけど、昨夜細君が今日の晩飯に油淋鶏つくるって言ってたのを思い出して、パイコー坦々麺食べた。この店は今月6回目。

 


昔はこうでは無かった気がするんだよね。

そもそも、腹が減ってから考えた。

そもそも、選択肢がそんなになかった。

そもそも、外食=おいしいものを食べる喜びの時間、というアタマがなかった。

 

俺が今の会社で働き始めて、もうすぐ37年。

当時びっくりしたのは、東京の人たちは普通のお昼が一食1000円だということ。

 

立ち食いそばとか、吉野家とか、カレースタンド、マクドナルドとかはあったけど、それらのファストフードは彼ら東京の人にとって、自ら選択して行くわけではなく、時間の節約のために使う感じだった。

 

俺はそんな人たちに驚きながら、am-pmの冷凍コンビニ弁当とか食ってて、たまに誘われると「消え物の日々のめしに1000円クソもったいねえ・・・」と思いながらお付き合いする感じ。

 

2年後に家族を東京に呼んで、そこからは弁当持参が多かった。

10年前に夫婦二人きりになった時に弁当づくりが廃止になって、それからずっと外食orほか弁。

コンビニ弁当はあんまり食わないな。休日にひとりでうちで酒飲むのにつまみとして買ってくることはある。

 

酒といえば、おれはそういや、毎晩酒を飲むという習慣がなかったんだよ。

酒飲むようになったのって、40代に入ってからだとおもう。

それまでどんな生活してたのか、思い出せない。

 

この20年くらいで、美味しい外食が当たり前になった。

たぶんグルメブームとネットの食レポ口コミの相乗効果なのだろう。

美味しいと言われないと淘汰されるかんじ?

 

僕がインターネットを始めたのは1995年。

そのとき抱いたイメージは、いろんな知識の交流が誰の手にも届く場所で知識の山を作っていくというものだった。

(なんか変だな)

 

平たくいえば、正解に簡単に辿り着けるようになるというもの。

漠然と、建設的で明るい未来のイメージしかなかった。そして社会が劇的に進化するだろうというもの。

 

でも実際にネットが浸透し、空気や水などと同等の、当たり前にあるものになった今思うのは、過剰な他人との比較ってのかな。

それまで「自分は自分、他人は他人」が普通だった。

 

小説などの創作物で、ステレオタイプに「優雅な暮らしをする人」「不遇の人」というのが並べられていて、自分はそのどちらでもない位置から物語を楽しんだ。テレビに出ている有名人は、ブラウン管の中の人だった。毎週新しい衣装で歌番組の司会をしている有名人を見ても、俺には関係ないし、別の世界のものだとしか思わなかった。

 

しかし、いろいろな情報共有が進む中で、同級生の誰々はどこの大学を出てどんな仕事についてどんな家に住んでどんなものを食べているーなどといったことが自分の知るところになる。芸能人の日常が晒されることで、大スターと自分との垣根が消えていく。

 

それまで憧れの有名人の影響といえば、髪型を真似る、似た感じの服を探し回るといった程度でしかなかったのに、紹介されていた店で同じものを食べる、同じブランドの高価な服や家具を買う、はては同じ街に住むってとこまでいってしまったりしてる。

 

過剰な他人との比較。

先進国に共通する少子化問題も、結局はインターネットの弊害なんだろうなあと思う。

養育費や学費などの支出を考えたら子どもは一人が限界だとか、自分の理想とするライフスタイルを犠牲にしたくないとか、SNSで一目置かれたい、自己満足を得たいとか?

 

とはいえ、俺は人間は増えすぎても碌なことにならない(・・宇宙移民とか1年戦争とか)と思うので、自然淘汰の範囲、それもよきかなとか思ってるけど。ただ、日本の文化は好きだし、侵略されて消えるのはいやなので、日本の少子化は比較的ゆるやかに進んでくれるよう願ってますが。

 

優秀な人が優秀な遺伝子を多く残していく未来とかって言うんですかね。

進歩ってそんな感じなんでしょうね。

 

イチゴもトマトもサツマイモも、甘くなったよね。甘いやつしか売ってない。

 

舌が肥えると、マズイものは食えなくなってしまう。

マズイもの食うくらいならメシ抜きのほうがマシって思ったりもする。

 

これはトラップ。

俺も篩にかけられてる。