紅組最多出場を誇る和田アキ子は、40回目の大台にのせることはできなかった。
これまでに紅組司会を3回、歌手としてトリを7回も務め、名実ともに紅白の顔として貢献してきた。
だが、ここ数年は落選の噂が絶えず、40回出場という節目を機に卒業という花道すら用意してもらえなかった。
司会の経験もない北島三郎や森進一の卒業とはずいぶん扱いが違う。
しかし、紅組司会を担当した女性歌手がその後の紅白ではひどい目に遭うというのは決して珍しいことではない。
佐良直美は13回連続出場し、そのうち紅組司会を5回も務めている。
ちなみに紅組司会を5回というのは黒柳徹子と並びタイ記録、歌手としては最多である。
トリの経験こそないものの、毎回70%台の視聴率を獲得していた頃で、その貢献度は和田の比ではない。
しかも佐良はほぼ同じ頃、50%以上の視聴率を記録したこともあるTBSドラマ『ありがとう』の全シリーズにレギュラー出演しており、二つの国民的番組に深く関わる、正真正銘の国民的芸能人だったのである。
その貢献にも関わらず、現時点で最後に司会を務めてから3年後に報じられた醜聞によって、あっけなく紅白を落選したのである。
当時の制作側による佐良の落選理由は、
『アンケートによる世論の支持が低下傾向だから』
であった。
国民的歌手の突然の醜聞で好感度など上がる訳がない。
それに、ヒット曲からも遠ざかり、人気も低落傾向にあるからと言って、こんな時こ落選させるとは、これまでの貢献を仇で返すようなものだ。
江利チエミは、紅組司会を2回務め、歌手としては16回連続出場している。
和田アキ子の場合と奇しくも共通しているのは、その時点で紅組最多出場記録を更新中だったことである。
また、歌手が紅組司会を務めるのは江利が初めてであった。。
そのうちの一回は、現時点で紅白史上最高の視聴率を記録した年である。
17回目の出場となるはずの年に落選したが、その次の年に復活出場の予定だった。
しかし、江利は復活出場を辞退した。
2年前の制作側の落選理由が、
『ヒット曲がないから』
『歌唱力が落ちたから』
というものだった。
そして2年後の江利側の辞退理由が、
『ヒット曲を出していないから』
『声帯ポリープの手術はしたが、歌唱力は変わっていないから』
というものだった。
実は復活予定の年の紅組の司会は、江利、雪村いづみとかつて3人娘を組んでいた美空ひばりであった。
紅組初司会の美空を、司会者としては先輩の江利が励まし、江利の紅白復帰を美空が迎える、という演出を企画したようだが、これは江利のプライドが許さなかったのだろう。
その4年後、江利は『酒場にて』で久々にヒット曲を出すが、その年も次の年も紅白の出場依頼を断ったそうだ。
水前寺清子は、22回連続出場しトリを1回務めている。
紅組司会も4回担当している。
その中には第30回記念紅白も含まれていることから、制作側の信頼がいかに厚かったかということがわかる。
ところが、22回目の出場を果たした年の紅白の視聴率が初めて60%を割ったのである。
焦った制作側はその一因を、固定化した出場歌手にあるとして見直しが図られ、結果、水前寺と三波春夫が線から漏れた。
ちなみに改革後の紅白のトップバッターは森進一と八代亜紀という意表を突いた幕開けとなった。
視聴率低下の見直し策が、それまでの紅白の立役者の排除というのもひどい話である。
このように紅組司会を複数回務めた女性歌手の多くが非業の落選を遂げているのだ。
そして、佐良直美、江利チエミ、水前寺清子は、企画枠でさえ、その後一度も紅白の舞台を踏んでいない。
和田アキ子の落選で『司会者への仕返し』が改めて浮き彫りとなった、紅白残酷歌合戦の顛末である。