夜ごとにおまえは吟味せよ
一日が神さまのおぼしめしにかなうかどうか、
一日が行いと真心とに楽しかったかどうか、
一日が不安と悔恨とにめいっていたかどうか。
おまえの愛人の名をとなえて、
憎しみと不正とを静かに告白せよ、
一切のあやまちを心から恥よ。
いささかな影も寝床に持ちこんではならない。
一切の憂いを心から取り去って
心が深く子どものように安らえるようにせよ。
そうして心も澄んで安らかに
おまえの最愛の人を、母を、
幼き日を、思い出すようにせよ。
見よ、そうしたら、おまえはけがれなく、
かぐわしい夢が慰めつつさし招く
冷たい眠りの泉から深く飲み、
新たな日を澄んだ心で
勇者として勝利者として始める
心の用意ができるのだ
『ヘッセ詩集』
高橋健二訳
新潮文庫
「夜ごとに」
最近のわたしはうかれて遊んでいた。自分の悩みを考えることに翻弄されいじめに苦しんでいる人への配慮に欠けている。友人として出来うる限りの声かけはしている。彼らは強くて優しい。そんな彼らに感動しまくっている自分がいる。明るい声かけは大切だが、彼らの希望とまではならない。上っ面の横滑りで空虚に言葉を沢山かけるだけでは不十分だ。
まずやるべき検証は、永井義郎と初めて名乗った頃と今の私の比較から始めようと思う。
自己を変革していくといっても、何を変革すればいいのか全く判らなかったのが、5年前の私だ。
いじめ自殺をしていく小中高生のニュースを見るたび、強い違和感があった。今では私が必死で叫んできたことが、良い影響となっている自信がある。私は既にフラつきながらも海上に出たのだ。まさか、こんなにも短時間で海上に出られるとは思わなかった。
私は激しいながらも純粋な若々しさがあったように思う。今の自分の姿は情けないばかりだ。
真剣さがない。
求道心が足りない。
中途半端。
生活が少し楽になったことで、私は油断をしているのかもしれない。
私のいじめに対する怒りは徐々に具体性を帯びている。しかし、たとえ、ディベートが上手くなったところで熱い思いが欠落していれば、それは空転に終わる。
私はなんとのん気な性格になってしまったのだろう!
今思えば44サークル開始時の精神闘争はまさに命がけであった。全生命全人生をかけて、勇気を振り絞って一回一回の発言を繰り返していた。
ネットの外での私は、いじめた側の論理にすっかりと騙され、薬漬けの朦朧とした頭で言葉や思いを上手く伝えることが出来ずにいた。メールに自分の今の思いを伝えるため、何度も書いては消し、また書き直して相手に言葉と思いを送るようになっていた。今の自分は、あらゆる人々とのフレンドリーな交流こそまだないが、目の前の1人に誠実に正確に自分の思いを伝えることが出来るようになってきた。それが自信となり、あまり思い詰めたり悔し涙を滲ませることも格段に減った。それこそが、自己変革そのものであったことに、あの頃の私は気がついていなかった。
しかし、一方で、冷静な紳士からみれば、いじめの傷に取り憑かれた亡霊のようでもあったのだろう。私の次の課題とも言える明るい太陽の下で楽しく語らうことは、まだできていない。今はそれでいい。焦った所で更なる空転を産むだけだ。
今の私は圧倒的に思索が足りない。医師からの指示でぼんやりと過ごすことを受け入れている。六年前から読書をすることが困難となっている。いじめに対する怒りが激しいからだけではなく、いじめについて思索していくこと以外の無限に広がってゆく思索が困難となっていた。最近は反対に、いじめに対する思索が短時間でまとめられるようになり、いじめ以外のことについても思いを巡らせることができるようになってきた。しかし、残念なことに、幅は広くはなったがいじめ以外の最近の思索はすべて駄作だ。観念の遊戯にすぎない。いじめ問題についても、他の思索の甘さが影響し情けない駄作になりつつある。アルジャーノンに花束をの主人公チャーリーは、知恵遅れで、大学の教授たちに頭が良くなる手術をされ、大学教授たちに対等どころか、手術に対する検証の甘さを指摘出来るようになっていった。手術の失敗を知りなんとか打開策をチャーリーは探すが、「後退していく」という答えにたどり着かざるをえなかった。
やがてチャーリーの知能は徐々に落ちていく。
昨日まで出来ていたことが出来なくなる苛立ちに苦しみもがく。
最後は手術前には無かった充足感を感じ、自分より先に亡くなったアルジャーノンの墓に花束を備えてくださいと最後のプログレスノートに書く。私はこの下降を始めた自分の命がけの思索力の衰えに最近は焦りを感じていた。このまま手を施さなければ、アルジャーノンのように私は死んでしまうだろう。私は彼らのように脳の手術をしたわけではない。思索は続けることでその若さを保つことが出来るのだから、少し時間を取って思索を試みようというのである。