―日記―― | 晴れわたる青空の下で

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人類の歴史は、「侮辱された人間が勝利する日」を、しんぼう強く待っている。インドの詩人タゴール

しっかりと信念に基づいた行動が本当に出来ているなら、


こうはならないんじゃないかと思った。


こうありたい!という強い思いは確立され始めた、最近の私は。


しかし、馬車馬のように一所懸命に走り回って疲れ果てて体調を壊すという循環からなかなか抜けられない。


突っ伏して倒れ込んで、何日間かかけて体力の回復を図るという繰り返し。

逆に言えば、それぐらい必死にならないと思いは届かない。


エネルギーがいる。


どうなりたいのかと良く聞かれるが

やはり私は


「完全なる」人間の尊厳の回復だろう


前日の繰り返しになるが
では、人間の尊厳を回復させてあなたは何をしたいんだ?

そう問われたとすると

やはり、他者とのコミュニケーションということになると思う。


今私は、他者との間にあまりにも深い溝があり、意志の疎通が困難である。

病気という因子は、割合的には狭い。


アルジャーノンに花束をを読んだことがある人はわかると思うが、



主人公のIQが手術により増幅していくが


社会生活にはなかなか馴染めない。


戸惑いが多く、上手くコミュニケーションをはかれない。


主人公が夢見た他者とのコミュニケーションをスマートにとりたいという欲求によく似たものを私も抱いている。


言い方を変えれば主人公の気持ちに私は共感したということになる。



今私は自分らしいといえるか?


私が夢見る、数年前、数十年前に描いた理想的な生き方が、今の私にとってマッチしているかどうか。


今真剣に目の前の課題に必死になって取り組むのは、こんな私にも、人様のお役に少しでも立てるんだという、歓びと、使命感と、やりがいと、生き甲斐と、誇りがあるからだろう。

当然私の第一の課題として取り組まなくてはならないのは体調管理であろう。


絶対やり切ってみせるという執念がある。


このまんまの人生じゃイヤだ!というあがきから、焦りを感じ、恐怖を打ち払い、安易に果実を得ようという浅はかさがある。


反対依存とも、反面教師ともいえるのではないか。


などと自身に問いかけを続けるのである。