前回は、地球の気候変動に炭素循環が深く関係している事をご説明しました。
今回は、さらに過去50万年の長いサイクルでの気候変動について解説します。
どうやってそんな古代の気候変動が分かるのか?
我々は今、そのサイクルのどの位置に生きているのか?
それを知った上での、この地球温暖化現象をどう捉えるのか?
最後に、過去のこの激しい気候変動を生き抜いた私たちの祖先から何が学べるのか、盛りだくさんですが、ご一緒に考えたいと思います。


セルビアの最高紙幣にはミランコビッチの肖像が使われている。


🌎ミランコビッチサイクル

背景

過去、地球には氷期と呼ばれる時代があったのでは?との仮説が説えられ始めたのは1840年頃だった。
先の記事に挙げた、巨石や迷子石、カール(スプーンでアイスクリームをすくったような地形)の存在は、かつて氷河や氷床が存在したとすれば説明がつくのではないか、と言う訳だ。
しかし、どんな仕組みで氷期が訪れるのか分からない。そのため研究者の間で1900年代初頭に盛んに論じられるようになったのである。

そんな中、1879年。
南欧セルビアのミルティン・ミランコビッチが生まれる。
彼は8歳で父親を亡くし、苦学して大学に進み、土木工学〜コンクリートの強度評価の論文を書いている。
1909年、工学から応用数学に鞍替えした彼は、同僚の気象学者との議論の中でこんな事に気付く。
それまでの気候研究は、理論物理や数学的な裏付けより、経験側に基づく研究が多いのではないか。そこで彼は自ら理論の構築を考え始めた。

なぜ地球に氷期と間氷期(温期)が訪れるのだろうか。

ミランコビッチに先駆けて、1864年スコットランドのアマチュア地質学者ジェームス・クロールは、(彼の経歴も非常に珍しいものだが紙面の関係上省きます)地球が太陽の周りを回る軌道が変化すると氷期や間氷期(温期)の切り替わりが起きるのではないかと説えていた。しかし彼の仮説は数学的裏付けに弱く、決定的な要素に間違いを含む未完成品であった。


ミランコビッチはこのクロール説を発展させて、数学的に綿密な裏付けを与え、学説として完成させたのである。

彼は、地球の公転軌道や地軸の向きが時代によってどう変化したのかを計算で求める方法を確立した。その上で、地球のどの位置のどの季節に、どれくらいの強さの太陽光線が当たっていた「はず」であるか、過去に遡って計算していった。
年代別に、気候区分別※に」である。

ミランコビッチのその計算には、まだコンピュータのない時代、紙と鉛筆、そして手回し計算機を用いて、何と完成までに30年の時間が必要だった。

しかも時は1914年、サラエボ事件が勃発し、研究途中の彼は捕虜となってしまう。
その後、妻の尽力もあり、彼は解放されてブダペストのハンガリー科学アカデミー図書館を使う事を許され、第一次世界大戦中、彼は研究に没頭する。

1941年4月。遂に彼は「地球における太陽放射のリズムとその氷河期問題への応用」と題した本を完成させる。これは彼の天文学と気候変動を結びつける30年に渡る研究の集大成であった。
ところが印刷開始から4日後、ナチスはセルビアに侵攻。印刷所はドイツ軍の爆撃により破壊されてしまう。

彼は唯一持っていた印刷版をドイツ兵に託す。彼を評価していたドイツの地質学者ゾルケルに届けるよう頼んだのである。
そして600ページを超える大作はドイツ語で出版され、後に古気候学のバイブルと呼ばれるようになったのである。


この爆撃下の印刷所に残されていた、ほぼ完成直前で表紙と数ページが失われた彼の著書が、年縞博物館に展示されている。

彼の理論の正しさが証明されるのは、ずっと後の1970年代に、海底の堆積コアから有孔虫※と呼ばれる原生生物の化石の酸素同位体比を求め、古代の海水の氷床量を割り出す解析が進んでからであった。


※「気候区分」〜余談
「ケッペンの気候区分図」の名で知られるケッペンは植生景観が気候の極めて良い指標になる事に気づいた。先の記事で取り上げた「大陸移動説」のウェゲナーとケッペンは義理の父子である。
2人は初期のミランコビッチ理論を強く支持し、この理論が受け入れられるきっかけを作った。
同時代の同じドイツ語圏の、同じコミュニティから生まれた彼ら3人の理論は、現代の自然地理学に影響を及ぼす最大のトピックとも言われている。

3つの要素

ここから、実際にミランコビッチサイクルの仕組みを説明します。

☆彼が注目したのは「夏の日射量の変化」が地球全体の気温を左右している事であった。
この事については後ほど詳しく説明する。

①地軸の傾き(角度)の変化
画像はWikipediaより
現在、地軸は23.4°傾いている。
これが約4万1000年周期
22.1°〜24.5°へと変化している。

☆この地軸の傾きは、そのまま四季の変化につながっている事を思い出して欲しい。
頭上からほぼ直角に当たる日光は夏を。足元を掬うように斜めから差し込む日光は冬をもたらす。
地軸が「立っている」ほうが極地は冷えて氷期は進む。

②地軸の向きの回転(歳差)
画像は年縞博物館解説書より

ちょうど倒れかけたコマが向きを変えながらフラフラと回転するのと同じく(これを歳差運動と呼ぶ)地球も自転軸の向きを変えながら軌道を回っている。
これは約2万3,000年の周期で向きが一巡する。
北極星が数千年前と違う星であるというのはこの事による。

③公転軌道の変化

地球の公転軌道は楕円→円→楕円…とちょうど輪ゴムが伸びたり縮んだりする様に変化している。(これを離心率変動と呼ぶ)
約10万年周期である。

これらの変化は、主に木星など太陽系の他の惑星の引力とのバランスによって引き起こされている。

この3つの要素が同時進行して、陸地の多い北半球に日射量が増えるタイミングが重なると、その時期に間氷期(かんぴょうき)と言われる温暖な時期がやってくる。

それ以外は、基本的に地球は長い氷期に閉ざされているのです。

(しくみとして、暑い夏で温められた地球は、次なる寒い冬の影響を相殺し、氷期の終了を促す)


ミランコビッチサイクルのまとめ

地球は、およそ9万年の氷期1万年の間氷期(氷期と氷期の間の温暖な時期)が交互に繰り返されている。

「数十万年のスケールで見た場合"正常"な状態とは氷期の事であり、現代の様な温暖な時代は氷期と氷期の間に挟まっている例外的な時代である」☆1参照

その中には、2万3000年の小さな温度変化のサイクルも存在している。

下の表は、過去50万年の地球の温度変化を示しています。
グラフは年縞博物館解説書より


この3つの要素は互いに複雑に絡み合って、地球にとってのペースメーカーのように働き、気候変動のスイッチを入れる作用をしている。
このペースメーカーの合図に反応して、前記事に挙げた二酸化炭素の循環などの他の小さなサイクルが、私たちの毎年〜10万年の複雑な気候変動をもたらしているのである。

下のグラフは15万年前からのサイクル




次の氷期はいつ?

上の2つの表の過去50万年、15万年のグラフのうち、最近の6万年分を拡大した温度変化がこちら↓

これはグリーンランド氷床コアから解析された過去6万年分の、より解析度の高いもの。

このグラフによると、既に人類史の始まっている約二万年前に地球はまだ氷期にあった事がわかる。気温にすると現在より10℃以上も低い氷期の最盛期だった。また氷期末期には非常に激しい気温の上下が起きている。
当然、人間は狩猟によって命を繋いでいた。この様な激しい気温の変化には、その時に取れる食物や動物を探して移動しながら生き延びる事が、最も効率の良い生活であった。
その時期の水月湖の周辺の花粉の種類を調べてると、現在の北海道と同じようなシラカバやモミが見つかっている)


そして1万1600年前に、地球は楕円軌道に変化し暑い夏がやってきて、氷期は急激な終わりを迎えている事が分かる。
(この頃の水月湖年縞からも、現在と同じシイや樫、杉などの花粉が見つかっている)
水月湖の堆積物からも、その変化はまるで物差しで引いた線のように、おそらくある年を境に突如氷期が終了している事が分かっている。
それは気温の上昇だけではなく、氷期に起きた激しい温度の変動までもがピタリと止んで安定したのである。
この頃から人類の農耕文化が継続して見られるようになった。気候の安定は、人類が狩猟より確実な農耕へと移行する原因となって、その社会の仕組みまで変えていったのだ。「文明」と言われる物は全てこの間氷期以降に繁栄をみている。

さて現在、間氷期が始まって既に1万年が経過した。
サイクルとしてはそろそろ氷期に突入してもおかしくない訳であるが、この所の地球温暖化によって過去にないほどの不自然な温度上昇が見られている。

これが人類にとってラッキーな事だと、ただ喜べるのだろうか。人間活動が氷期の到来を遅らせていると単純に楽観視しても良いのだろうか?

現在も科学者達の研究は続いている。
今後少なくとも五万年は、この間氷期が続くだろうとの仮説もある。

しかし、前の氷期が、ある年を境に突如終了した様に、この先、気候がいつどのように突然切り替わるのか。実際には分からない。
それが、10万年後なのか、明日なのか。

この、かつてない人為的地球温暖化が、悠久の時を経て今も時を刻むこの地球の気候システムに、この先どんな影響を及ぼすのか?
これまでに起きた事のない、別のモードに我々は運び去られるのか?
本当に予測できる人は誰もいない。

分かっているのは、ただ、氷期と氷期のわずかな隙間の、ごく限定的に穏やかな間氷期に、今、私たちは生きていると言う事である。

☆1「人類と気候の10万年史」中川毅著 P34より


🌎 多様性と私たち

氷期と間氷期(温期)が繰り返された11600年前までの期間、
度重なる地球規模の気候変動を生き残ったのは、農耕文化ではなく、多様性を兼ね備えた狩猟文化でした。

一つの作物が不作でも、別の植物のお陰で人類は生き延びたのです。
現状に特化して進化しすぎた恐竜は、急激な環境の変化に耐えられず絶滅しています。

「この自然との戦いと同じ事が、我々の社会にも適用できるのではないか」と中川教授は著書「人類と気候の十万年史」の巻末で問いかけています。


もし今、人類が短絡的な目先の経済成長や軍事力の拡充だけを目標にして、社会の多様性を維持する努力を怠るなら、戦前の日本の全体主義的国家のように、不測の事態を乗り切る事が出来ず、人類としての存続は断たれるかもしれません。

私は元Jとして、このような感想を持ちました。

…JW集団は、絶対神崇拝を掲げ、信者獲得を目標にして表面上の結束を固くする一方で、人間性の欠如や教理の矛盾と言った脆弱性を抱えています。

そして、それはまるで「全体主義的集団」の特徴と一致していて、中川氏の述べるように、共産主義国家が冷戦の勝者にならなかった事、国家主義的政権が大戦の勝者とならなかった過去の歴史を彷彿とさせます。

私たちが、社会の多様性を否定する時、
それは、人類社会が今後直面するであろう自然界からの、また内部から起こる様々な試練に立ち向かう知恵を摘み取り否定する結果をもたらすに過ぎないのです。

単一の宗教の教理だけを信念とし、その組織上層部が、一般信者を支配する為に都合の良い教理のつじつまを合わせ、その教団の利益の為に自らの子孫や、社会の人々の思考を操作し、彼らの人生の選択の自由を奪う事。これは決して生き延びる知恵にはならないのです。

自ら考え、適応能力を持ち続けた集団のみが生き延びた過去の事実は、何を物語っているのでしょう。

それにはまず我々各自、他者を認める、おおらかな心がまず必要ではないでしょうか。

聖書も、般若心経も、学問のススメも、論語も…
そして水月湖の年縞が語る、地球と人類の真実の歴史をもが…

本当はその事を語っているのではないでしょうか。
私達が過去の気候変動と、それに耐え抜いた先祖から学べるのは、柔軟で自由な思考能力が命を繋ぐという真実ではありませんか


★「人類と気候の10万年史」中川隆著 講談社
6、7章、エピローグ参照


長い記事でしたが、お読みいただきありがとうございました。

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次回が水月湖シリーズの最終話になります

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