の 続きです
備忘録みたいなもんだからサラッと流してくださいね💕
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なぜ 大変身撮影会に参加しようと思ったか?
それは、今まで 色んなことを 諦めて来た
自分への ご褒美🎁 だったのです💓╰(*´︶`*)🍀
遡れば 30年余り前のこと😱 大昔過ぎる!
その頃の私はね
毎日 鬱々として ちっとも楽しくなかった
結婚して 子どもが生まれて
本当なら 幸せな 毎日のハズなのに…
夫の両親との 同居が始まって、
ストレス満載!
その頃はバブル ど真ん中だったから
旦那サンの帰りは ほぼ深夜
周りの友達は 海外旅行やらブランド品( ̄▽ ̄;)/
あ〜 こんなハズじゃなかった
籠の鳥状態で 発散出来なかった私のストレスは
行き場がなくて 自分の身体を蝕んだの…
肺結核の胸膜炎で 2ヶ月の入院
その後、1年近くの治療が必要になったのです
内に篭もる性格は
なぜだか 結核まで 排菌しないタイプの菌で😅
(他の人には移らない)ものでした
それなのに 義両親からは 病原菌扱いだったから
子どもとは、ほぼ引き離されてた
鬱になって 感情を出せなくなって
その頃のことは よく覚えてない(防衛本能?)
その時の トラウマからなのか
数年経って 息子は学校に行けなくなりました
学校に (ホントは 行きたいのに)行けない
「不登校」が まだ 登校拒否と言われてた時代です
私のせい⁉️
自分も周りも 私を責めた(;ᴗ;)!
あまりにも 辛くて 家を出たこともあったけど
結局 戻ることを選択した私
自立する パワーが足りなかったからね
人生は 選択の連続です
それが心から納得したものでなければ
いつまでも 「こんなはずじゃない」事が 起こるのです
しばらく 表面上?平凡に暮らしていたけれど
また何年か経って
更年期による 体調不良や落ち込み
リーマンショックによる 夫のリストラ
夫は 自暴自棄で 崩壊寸前( ̄▽ ̄)
(今考えると) それを 止めるかのような
義母の転倒骨折だった…
退院後、認知症が 徐々に進行 して
着替えも だんだん1人では難しくなってきた
夜中に冷蔵庫あさったり
亡くなった父が来たとお茶を出していたり
トイレでの 問題行動も出てきて …(>_<)
母親の変わりゆく姿を認めたくないのだろうか
夫の 義母への罵倒を見るのが辛くなってきた頃…
(今考えると これも)それを止めるかのような
義母 2度目の 転倒骨折
最初の転倒から3年だった
今、振り返ると
まぁまぁ 色々 ありましたな(^_^;)
でも、だから
この経験は あなたのお役に立つかもしれません
心理学も学びながら、あらゆる方向から
自分も 家族の事もよーく見た 観た❣️
「陰極まれば 陽となす」
とことん ネガティブと 向き合った時、
( -ω- `)フッ 💨 と もう1人の私が
私を認めたのだと思う
「今、こんな気持ちなんだよ〜!」
「私、結構頑張ってる❣️」
怒ることも 泣くことも
楽しむことにも OKを出せた ⭕️
頑張ってた事にも 気づけた ⭕️ 🙌
こんなはずじゃなかった ことは
いつしか 全部大切な 意味のあることになった。
内観すること
俯瞰すること
あの頃の出来事があったから、今の自分がある ⭕️
心から そう思えた時
一見ネガティブな事にも
何かしらのメッセージが隠れていると感じ
感謝の毎日になったよ🙏💓
だから、諦めることは何も無いの
悲しみや 怒りが たくさんあっても
今が とても苦しくても
全部、幸せになるための 通り道なのだから
文字を絵にして気づくこと 絵っせーじ®︎
いつもの文字に表情をつけてみると
感情を客観視することが出来る
箱庭セラピーも 心の俯瞰(ふかん)に 役立つ
ちょっと視点が変わると 心が 別の方向に動きだす。
内観 俯瞰で アカン は無くなる
はたなかことみ はことなみかた みかたなことば
箱と名前
味方な言葉⇒ 私の使命
箱庭セラピーと 絵文字セラピーで 自分を見つめるお手伝いさせて頂きます。