わたしが、こどもを産もうが、流産しようが、誰にも何にも関係ない。

夫と二人の夕食のテーブル。

こんな生活が、かわらずずっと続くのを想像すると、もう何もかもげ出したくなる。


二人だけで、何もかわらず、年月だけ経つ家族なんて、守る意味があるのか。


こどもがほしい。

誰かにぶつけようと石を拾う。

でも誰にぶつけていいかわからないから、困ってしまう。

妊娠がわかってから、ノートに日記をつけていた。

こどもが生まれるまで妊娠中のことを書き続けるはずだった。


おなかの中のこどもにも、それが伝わっているんじゃないかなと思っていた。

見るもの、聞くもの、おなかの中の子どもにもわかるんじゃないかと思っていた


そんな夢みたいなこと、ぜんぶ無駄。

そんな幸せ、ぜんぶにせもの。

あなたが生まれたら

おっぱいをあげよう おむつをかえよう

たかいたかいをしよう いないいないばあをしよう

ごはんを一緒に食べよう おやつも食べよう

初夏の日にはお出かけをしよう

夏には海へ行こう 秋には山へ行こう

一緒に初詣に行こう 花火をしよう

田舎の家に行こう お墓参りもいこう 川と田んぼを見よう

ドライブをしよう ハイキングもしよう お弁当を食べよう

近所の人に一緒にあいさつをしよう

親戚の人たちに会おう お父さんとお母さんの友達にも会おう

あなたの友達と遊ぼう

風邪をひいたらあったかくして寝よう

おっぱいをのんだらげっぷをさせよう

誰かにお菓子をもらったら「ありがとうは?」と言おう

歌を歌おう かくれんぼをしよう ぶらんこに乗ろう

すべりだいをすべろう 砂場で泥遊びをしよう

お買い物に行こう 散歩に行こう

一緒におふろに入ろう 一緒に眠ろう

あなたと笑ったり あなたを叱ったり あなたと遊んだり

あなたが生まれたらすることがいっぱいいっぱいあるよ


(2度目の産婦人科受診の日に。初診時に「赤ちゃんが見えるようになりますよ」と言われていたがこの日結局見えず。その3日後流産が確定)

わたしのこどもが生きていないこの世界に、未来が必要なのか。

もう、なにもかもなくなればいい。

流産したのは子どもに原因があったのだという。


弱い命だったのだろう。

どんなきれいごと言ったって、弱いものは生まれてくることもできない。

涼しくなったので久しぶりに革靴を履く。初めて母にリーガルのローファーを買ってもらった時を思い出す。


世界中の人にほめられるよりも、わたしは母にだけほめられたい。

ちゃんとした子どもを、ちゃんと生んで母にほめられたい。

子どもを抱いて、ふるさとの海辺を歩いてみたい。


それだけのことがとてもとても、難しい。

どうして子どもがほしいのですか。


親や周りがうるさく言うからですか。あなた自身は子どもはほしくないのですか。

友達のところに子どもが生まれたからですか。なんとなく羨ましいからですか。

夫に父親としての自覚を持ってもらいたいからですか。子どもは夫を親らしくする手段ですか。

夫婦の絆を確かめたいからですか。今、そんなに夫が信頼できないのですか。

子どもを持つのが当たり前だからですか。どうして当たり前なのですか。

ただ、子どもが好きなだけだからですか。好きなものなら何でもほしいのですか。

自分の財産を譲る人がほしいからですか。そんなに財産はありますか。

早く生まないと年齢的に難しいからですか。焦っているだけですか。

女性としての自信がほしいからですか。自分に自信が無いだけではないですか。

仕事の責任が増えて負担だから今度は子育てをしてみたいからですか。子育てがしんどくなったら次は何をするのですか。