義母が、第2子を妊娠中の義妹の話をする。


小さい子どもがいるのにまた妊娠したのが大変なのだそうだ。

ひややかな気持ちを隠して相槌を打つ。

そんな話、ちっとも聞きたくない。


義母らに流産したことは伝えていない。





結構な言い訳はなるべくしない。


本当に、本当に、今まで生きていた中で、とても、とても、悲しい出来事だった。

何の役にも立たない、経験だった。


悲しいことを経験したら優しい人間になれるというのは嘘。

少なくとも、

悲しいことを経験して、すぐ、優しい人間になれるというのは絶対に嘘。

流産したことで、こどもを持つ心の準備ができると言う人もいるらしい。


出産を待っていた人たちにどんな言い訳をするのか

出産を待っていた人たちをどう慰めればいいのか

処置の手術のために仕事を休むとき、どう説明するのか

仕事の穴をどう埋めるのか

これが妊娠、出産ならどんなに休まないといけないのか

流産したことを知らずに「こどもは?」と無邪気に聞く人たちにどう答えればよいのか

妊娠している知人にどんな言葉をかければよいのか

保険会社に出す意見書を医師はいつになったら書き上げやがるのか

夫はどう思っているのか

親はどう思っているのか

もう一度流産するのか

ちゃんと、こどもを育てられるのか

こどもを育てながら、こどものために、安定収入を得る仕事を継続できるのか


やることだらけ。考えることだらけ。不安でいっぱい。


花を飾ったり、ソファのカバーを替えたり、

そんな季節に合わせて部屋を変えていくことがばかばかしくてやってられない。


流産していなかったら、今は妊娠6ヶ月だ。

この国は、妊娠、出産にかかる費用は保険外。個人が実費負担。

お金とヒマがある人がシリコンを入れるように、

お金とヒマがある人が妊娠する。

そして、流産して、もっとお金とヒマをもてあます。

ここはそういう国。

妊娠したとき、

入社して5年のわたしは産休と育休をとって、少しほっとできると思った。

働いていない夫がは「仕事、探す」と言った。


流産して3ヶ月。

わたしは仕事に追われているし、夫はかわらず働いていない。

親戚たちは、わたしたちの生活を批判する。


わたしはこの生活が、何の変化もないまま、続くことを想像するとぞっとする。


わたしが悪いのか、夫が悪いのか、

生まれなかった胎芽とやらが悪いのか。

流産したら、その気持ちは整理しないといけないのか。

一日も早く、前向きにならないといけないのか。

なかったことにしてしまわないといけないのか。

それとも、これからの人生の糧に昇華しないといけないのか。

何の障害もなくこどものできた人を妬んではいけないのか。

家の中でこどもとごろごろ過ごす主婦も尊敬してやらないといけないのか。

街をうろつく親子を憎んではいけないのか。

赤ちゃんを見たらやさしい気持ちになってやらないといけないのか。

流産した子のことを愛さないといけないのか。


そんなことを考えるのはいけないのか。

黙っていなければならないのか。

「流産したのは大事な体験」なんて、薄笑いして白々しく言わないといけないのか。

お金や、大きな車や、海外旅行やそんなものも求めていないわたしたちに、

どうして、こどもがやってこなかったんだろう


わたしたちはそんな高望みしていたのか


なにをひきかえにしたら、あのこどもは生まれてきていたんだろう

アイシャドーの青すぎる女性看護師に「初めての妊娠だったんやね。気持ちの整理はついた?」とたずねられたのでうなずいておいた。

手術台にくくりつけられた流産処置の直前。


本当は「お前、死ね」と答えたかっただろうな。

そのときのわたし。