沢田研二SPECIAL INTERVIEW~お前がパラダイス♪ | スマイルのブログ

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沢田研二を愛し、沢田研二に悩殺された被害者の会代表を勝手に務めています!お気軽にお立ち寄りください!

 

ごきげんよううへ
 
何となく少し暑さも和らいだ気がしますが…気のせいかだって~
これからが本格的な夏なのに、すでに夏バテしてます悲しッス
 
沢田研二 MUSIC RADAR 
 

 

さて今回は昔々の懐かしい記事シリーズでございますえへ
いつの間にシリーズ化したのか分かりませんが、
誰かがそう名付けたので、これでいいんではないですかねぷぷ
ジュリーが昭和56年にある誌上で受けたインタビューの
特集をしてみたいと思いますので、
最後までお付き合い下さいね。

時は、ちょうど井上バンドからオールウェイズへの

転換時期のインタビューです。

ジュリーは何を思い、どこに進むのか…。

 

 

「流行歌」とは実に味のある言葉である。

いわゆる大衆文化として古くは昭和初期から
今日に至る半世紀の間を、常に世相や社会状況と
表裏一体となって歩んできた「流行歌」
この言葉の奥には、ひとつの歴史の重みと
それこそ「ハヤリウタ」の浮薄さとが同居
しているとは言えないだろうか。
 
沢田研二―――この名前を見つけるたびに
ある種の感慨が心に広がる。
埋めれた時からロックン・ロール聴いて育った
少年が、精一杯流行歌を歌い続け、30歳を
過ぎた現在ロック心ますます健在といった
彼の有様に素直に心を打たれているわけだ。
 
我が国に欧米のポップミュージックが渡米して
来た30年ほど前から、和製ロックン・ローラーは
数限りなく誕生し消えていった。
運よくスターの座を手に入れた者は、スターで
いつづけるためにやむを得ず演歌歌手として
方向転換を余儀なくされる現実が繰り返されていた。
まさにロックン・ロール不毛の地、日本なのである。
 
ジュリーは、そういった現実に彼なりに対応
してみせた。すなわち、彼が今まで発表してきた
数々のヒット曲にみられる洋楽っぽさである。
そんなジュリーにインタビューを試みた。
目の前に現れた沢田ジュリーは、香港公演の
際に手に入れたというネイビー・ブルーの
人民服にズボンというスタイルだ。
第1印象は物腰が非常に低いプロフェッショナルの
心意気を感じさせる人だなぁということ。
極論をすれば、あの華やかなトップスター
沢田研二を演じきっている男の素顔がここに
あるように思えた。
 
昨年夏に行われた「ジュリー・ロックン・ツアー79」
東京・渋谷公会堂でライヴ録音がミュージック・カセットテープ
だけの扱いで発売されたり、あるいはそれ以前ににもライヴ録音を
カセットで発売したりと、ミュージック・カセットテープにはことさら
関心が深いように思うのだけど……。
 
沢田:かなり以前なんだけど、あるカセット
テレコメーカーのCFに出させてもらった時に
手に入れたラジカセがきっかけで、興味を持ち
始めまして、その頃から、テレコはずいぶん
もってますけどね……。
そんな事が原因しているのかどうかわからない
けど、ミュージック・テープは、レコードの発売に
それほどこだわらないので、ライヴでも、
スタジオでもよいものがあったら、どんどん
出して行きたいですね。
これからもホント、どんどん出して行きたいと
思いますよ。
 
――― あなたご自身の「カセットライフ」と
いうか、カセットとのかかわりがあると思うんですが。
 
沢田:とにかく、発売されるカセットテレコは
ほとんど買っていますから、特に何がどうしたい
というんじゃなくって、いろいろ持っていますよ。
あんまり、そっちの方(テレコについて)のこと
細かく知らないんですけど、集めておくのが
きっと好きなんだと思いますよ。
ウォークマンにしたって、こんなんが発売されるって
結構前から教えてもらって、出ると同時に買った
という覚えがありますけどね。
わりと新しいもん好きやから、すぐ買っては来るには
来るんだけど、飽きるのも早いですね。
だけど、ウォークマンや、それからあとに出た
ヤツは、いつもどこか持ち歩いて使っていることが
多いと思います。
 
―― ところで今度のニューアルバム
「GS・アイ・ラブ・ユー」についてなんですが、
自己プロモーションしていただきたいんですよ。
 
沢田:特にアルバムのレコーディングというのは、
今度は何にしょうか?とかいろいろ悩むんやけど、
今の世の中、音楽にしたって難しいこと言い
過ぎるんと違うだろか、ちょっと前から考えてる事が
ありまして、だったらGSって感じ面白いんじゃない?
そう言ってみたら、かなり面白い方向に話が
膨らんでいったわけなんですよ。

 

―― GSって言うと、誰でも最初に日本の

グループサウンズを連想してしまうけど…。

 

沢田:だから単なる懐古趣味じゃないよっていうのかなぁ

僕にすれば、あの持っていた「よしやってやる」

みたいな、もちろん今でもそういう気持ちは

ありますけど、当時のがむしゃらが今の音楽。

僕も含めてだけど、そういうの欠けてるように

思えて、あの時代の熱気みたいなものを、

今30代前半で僕の事昔から聞いていただいている

方々に、わかってもらいたかった訳なんです。

 

―― LPをチョット聞かせてもらった感じだと、

コーラスのつけ方、メロディーの展開なんか、

かなり忠実に再現してるというか、しかし、

それだけじゃなくて、今の沢田研二という部分も

キッチリ出ていて、このLPもしかしたら

今までのあなたのベストアルバムになっているんじゃ

ないのか?なんて思ってますけど。

 

沢田:そうですかぁ~そう言われると嬉しいですね。

実は、ずっと前に伊藤銀次サンという人に会いまして、

GSのこと、いろいろ話したんですよね。

そうしたら、そうしたら本当にようこんなことまでと

言うぐらいGSのいろんな細かいこと知ってるんですよ。

僕の覚えてない僕のことまで知ってて(笑)

その時のことがなんかきっかけになっているのかも

知れんと思います。

で、結局アルバムのアレンジも元々、堯之さんに

頼もうと思ってたんですが、あえて、伊藤さんに

お願いしてみることにしたんですね。


 

――昭和56年の月刊誌の記事より――

 

 

井上バンドから変わって当分の間は受け入れられず

新しいバンドを否定しておりました苦笑

でも当時は日劇のラストということでザ・タイガースが

復活してステージに立ったり、春夏秋冬と休む間もなく

コンサートがあり、どうしたものかなぁ~なんて考える間もなく

毎日どこかでステージがあったし、その合間にTVの収録や

歌番組への出演などがあったから正直バンドがどうだとか

音がどうだとか、考えていることなど出来なかったねてれ(苦笑)

 

確かにお粗末な場面は多々あったと思うけど、音があるだけ

本当にマシだって~

コンサートでオープニングからご機嫌な音があるだけマシぷぷ

何かまたそっちの方へ行ってしまうなぁ~ププッ・・・

 

 

 

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