年初にブログで引いたおみくじに

ノリの良い「運否天賦」なる言葉が書かれていて

(ウンプテンプって読むって書いてあった。ヒップホップ、シンクタンク、ニッカポッカ的なノリを感じるよね)


運を天に任すって事みたいです。


年明け早々、大きな災難が日本に訪れ、

地震の方はやっぱり被害が徐々に報じられるようになってきましたね。元旦のテレビ報道では何が起きたのかそうでないのか全然伝わってこなかった。

京都の友人宅で過ごしていて

そこそこの揺れに見舞われましたが

その後のテレビ報道とXに投稿される動画の温度差がすごくて

テレビは本当に色々と制限されて、決まった映像を繰り返し流すしかないんだなーと、

一方、

アナウンサーの切迫した話し方は、悪い意味ではなく、すごく洗練されていたと思いました。東日本大震災後から、きっとあれも訓練しているんだろうな。



我が家は年末以上に酷く荒れた部屋のまま

仕事初めになってしまいました。

どこかで大きな地震が起きるたびに、

断捨離せねばと思うのですが…

人間の居住空間としては、腰より高い家具はないか、あっても集成材とか軽い本棚か、構造上倒れ切るような位置にはないような家具の配置にする、これは28年前からそのまま守っています。体験したのが直下型地震の直上だったので、転倒防止の突っ張り棒にはどうしても意味を見出せず…


同じこと言ってる


他には、いかにもパジャマ、と言う格好で寝ない、というのもありましたが、それはもう年をとるに従いどーでも良くなってきました。あとは…寝る時にベッドまで履いて来るスリッパは底が布じゃない硬いやつにする、とか…。


それで人間はまあ怪我はしても潰される事はないしガラスの上を素足で歩かなくて良い、ベッド上の梁さえ落ちてこなければまぁなんとかなる?と思うのですが、すこし上に重い物を置くと、それが落ちてきた場合、猫には大事に至る可能性もあるよな…と思うと、つい大物(猫砂とか、家電とか)は足元に溜まってきて…


掃除に取り掛かりはしてみたものの

足の踏み場を無くしたところで

お正月休みは終わってしまいました。


さて。



課長補佐は

コロナ禍で顔を合わさないできた父母に

4年ぶりに会いました。

4年ぶりの実家までの道…もしかして建物が大幅に変わったりしてたら

わからなくなったりして?

…と思いましたがプチ田舎の実家周辺に

目覚ましい変化はありませんでした。



子供の頃、飼っていた犬のトリミングに連れてきていたお店が、これ以上ない廃墟になっていたくらいかな…真顔あせるあせるあせる(いつからかな?)



課長補佐の実家付近らしい

こんな看板…

誰に向けて言っているのか、

そしてこの生き物はなんなのか

誰が書いたのか

考え出したらキリがない。



4年前に会った時より

母親は元気そうでした

(4年前より服用中の薬の量は多いんですが、多分闘病開始頃だったからかな?)


お雑煮をいただき


母の基地みたいな部屋を見回して、なんか暮らしを楽しんでるな,と思い

(母はものすごい片付け好きです。遺伝しませんでした。)


帰ってきました。



数年の懸案を解決したかのような

安堵というか

達成感というか


別れ際に

「次は4年後か?ウシシ」と冗談を言うくらいの余裕があって良かったです。



震災の時

小学校などに避難を余儀なくされた人は,それなりに大変だったと言う話を聞きました。我が家は崩れなかったので,そのまま家で過ごせたのは幸運でしたが、それでも他の地域と寸断された数日間、普段は「顔を見たことがある」程度の近所の人達があたたかく、頼りになったのが思い出されます。

家に猫がいる今、

同じく猫を飼う近所の人と繋がりを持てているのは、そんなつもりではないけど、実際とても重要な「備え」であると思います。アッコさんが自分たち猫の安全のために、しもべをして、互いに繋がるよう仕向けている,私達はそう操られているだけかもしれませんが。

経験上、結局それがいちばんの対策だと思うんです。犬猫も入れる避難所かどうか?本当に生きているのがやっとみたいな状況になった時に,それを要求したり主張したりする余裕がお互いにあるだろうか?

それよりも

確かうちには今2匹プラス1匹が居ると誰か近くの人が知ってくれていること、同時にこちらもその誰かの方に問題があれば何人,何匹ウチに来れるかな、と想像しておくこと…


そう考えると

部屋がちっとも片付かないと言うのは

災害への備えがちっともなってないという風にも言えるなショボーン


片付けを

今年の目標にしよう。