6月初旬、仕事中アルバイトのO君が話しかけてきた。

 

 

史郎さん、6月21日に地震くるらしいですよ。

 

え?その日オレの誕生日だわ~。

 

なんか色んな事件とか地震を的中させてる人が予言してるらしいですよ。

 

いや~ほんとに来たらヤバいね~。

 

 

なんて現実味なく話していた内容が6月18日に大阪で現実になった。

 

 

午前8時前。職場の事務所で眠気と必死に戦っている時だった。

 

ゴォーーという地鳴りとともに地球が小刻みに揺れる。

 

同時にそこにいた全員の携帯から地震発生のアラームが響く。

 

黙って様子をうかがっていたところに段違いの揺れがつきあがってきた。

 

短く感じたが、直下型で震源も浅かったため、未体験の恐怖を感じた。

 

 

 

「地震気をつけろ、、引き続き。」SHINGO★西成 Twitterより

 

 

 

 

最近事務所の向かいにできた外国人観光客向けのホテルから巣をつつかれたハチのごとく、人があふれ出ている。

 

 

地震にあまり縁のない国の人達からすると、そりゃ恐ろしい体験だっただろう。

 

地震大国NIPPONへようこそ。

 

そんな風に外国人観光客に思いをよせながら過ごしているうちに徐々に明らかになっていった被害状況。

 

社内でも、出勤途中で地下鉄から降ろされ、歩いてきた人。

電車が動かず来れなかった人。

 

実家が高槻の人もいて、母親が避難した人もいた。

 

LINEやTwitterで崩壊した家や、崩れた駅の電光看板をみて、震える。

 

 

こんなにデカかった?

 

同じ大阪でも北大阪は震源だったから、自分が感じた規模より遥かに大きな被害があった。

 

 

 

 

震災後に、自治体の職員が一人暮らしの高齢者の自宅に訪問して、防災グッズ配ってるニュースを観たけど、

すごいいいことだと思った。

 

災害でつながるって言ったら変だけど、こういう時に人と人の関係を強固にするっていうのは、大事だと思います。

 

 

 

今回の地震に、都市機能の脆さと、日常の儚さを思い知らされた。

 

 

今ある毎日が、線のようにずーっと続くと思っていたけど、それこそ些細な揺れや変化で一変するという事は十分あり得ることなんだ。

 

逆に言えば、目の前の壁や些細な悩みにくよくよし過ぎてもしょうがない。

日常は繊細なバランスの上で成り立っているものだから。

 

後悔のないように生きようと思った。2018年折り返しの雨の午後。

 

 

ぐ。

 

 

 

 

どーも、史郎です。

今回はパソコンから投稿してみました。

 

最近はちょろちょろパソコンの勉強したりしています。

 

学生時代は頑なに向き合うことを拒んでいた、「学ぶ」ということ。

 

今では生活の合間にねじ込んででも、新たな知恵やスキルを身につけようと奮闘しているのである。

別に堅苦しい学校の授業のことだけを指しているわけではない。

 

「学ぶ」

ということは

「周りを知ること」

であり、

「自分を知る」

ということだと思う。

 

人は「学ぶ」ことをやめた瞬間から終わり始めてしまうのかもしれない。

 

逆に、学びをやめないことで人は成長し続けることができる。

 

 

今日6/24は我が家の長男君の誕生日だ。

 

6歳になる。知恵がついてきて、色んなことをいっぱい吸収している。

良いことも悪いこともいっぱい吸収している。

 

腹が立つこともある。でも自分の血を分けた息子だ。それも含めて愛していこう。

 

 

「今日帰ったら子供達といっぱい遊んであげよう。」

と、思いつつ帰ったら

「あ~疲れた」ってなってあんまり相手しなかったりして、

そしてまた次の日に仕事に向かいながら反省する。

 

そんなことを繰り返している。

 

こんなに子供が「とーと、とーと」って寄ってきてくれるのも今だけなんだよなぁ。

と、思うと今この瞬間がどれだけ貴重なものなのか、って思えてくる。

 

今を大事に。当たり前だけどこういう言葉を大切にしていこう

 

 

 

そんな誕生日の長男君には誕生日プレゼントがある。

 

それは、勉強の天敵とも言えるあれだ。

 

ゲームだ

 

ニンテンドースイッチだ。

 

 

 

ちゃんとセーブさせることはできるか。

親に似てまったく勉強しない子になるんじゃないか。

など様々な葛藤はあるが、今夜は子供が喜ぶ顔を想像しながら眠りたいと思う

 

 

 

一つ言えることは、プレイすることを楽しみにしている自分がいるって事だ。

 

 

一緒にやるんかーーい

 

 

 

 

 

ぐ。

 

 



全ての結果には必ず原因がある。

人生に偶然という要素は全く存在せず、すべては「原因と結果の法則」に従って創られているものである。






今年初の熱帯夜というべく寝苦しい夜だった。


史郎は暑さの余り、ズボンとシャツを脱ぎ捨て、パンツ一丁になった。

そのまま朝を迎えた。

一緒に目を覚ました長男が言った。



せいた(次男)がお漏らししてる
お父さんの枕の上で



え?

どうなったら枕の上でお漏らしする?


せいた(次男)に問いただしたところ思わぬ反撃を受けた




お父さんが裸でねてるからや




え?まったく関係ないけど?


なぜか被害者意識全開のせいたと長男を保育園に送り、加害者史郎は濡れた布団と昔からお気に入りのストローの枕を洗濯機に入れた。


用事で家を出る予定の時間ギリギリまで洗濯機は回っていた。


ピーピー

ピーピー


洗濯終了のアラームが鳴り、史郎は洗濯機のドアを開けた。


時間がないから急いでいた、




開けたドアの向こう側には真っ白な景色が広がっていた。


それは枕が洗濯の回転に耐えきれずに、破けたために中身のストローが洗濯機の中いっぱいに散乱していた光景だった。




史郎の頭はストローと同じく真っ白になり、ただその場に立ち尽くしたのだった。






原因=裸で寝た

結果=洗濯機が真っ白になった




ごちそうさまでした!