・記事「OUTPUT>INPUT~試験対策の効果」
・記事『「分散学習」のススメ』
に続き、『脳が認める勉強法』(原題『How We Learn』Benedict Carey[著]・花塚恵[訳]:ダイヤモンド社)
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脳が認める勉強法――「学習の科学」が明かす驚きの真実!
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の内容を、司法試験系をはじめとする試験対策に適用・応用していく記事の第5弾です。
記事『「分散学習」のススメ』の最後に予告した、もう1つの“「分散学習」≒反復学習についての重要な方法論”を紹介します。
上記書籍を読んで、私が最も得るものがあったと感じた内容です。
おそらく、反復学習法を採っている方は、その方法論の少なくとも見方が変わると思う。
じっくりと長く書いていくので、“その3”くらいまで記事を作る予定。
(以下、ページ番号と引用は上記書籍から。)
結論としては、
「長い目で見ると、一つの技術に絞って反復練習を重ねると、向上のスピードが遅くなる」(P240)。
それよりも、反復「学習中に関連性はあるが違う何かを混ぜる」(P247:「インターリーブ」Interleave)方が効果的である。
この結論を導いた実験は、以下のようなものだった。
「ビョークは以前、ベル研究所のT・K・ランダウアーとともに、50の人名一覧を学生に覚えさせる実験を行っていた。50の名前のうちのいくつかは、覚える時間を与え、続けて何度かテストを実施した。残りの名前は、一度見せただけでテストした。ただし、テストの前に別の授業を差し挟んだ(学生たちは、その間に名前とは別のことを覚えさせられた)。つまり、半分の名前は純粋に名前を覚えることだけに時間を費やし、残りの半分は途中で邪魔が入ったということだ。ところが、30分後にテストを実施すると、学生たちは、邪魔が入った名前のほうを10パーセント前後多く思いだした。名前を覚えることだけに集中するほうが負けたのだ。」(P239~240)
そして、
「反復練習が『悪い』と言いたいのではない。新たな技術や学習題材に慣れるためには、ある程度の練習が必要だ。とはいえ、反復は強力な幻想を生む。技術はすぐに向上するが、その状態がしばらく続く。一方、ほかのことを混ぜて練習すると、1回の練習時間内で目に見える改善は反復練習ほど早くは表れないが、練習を重ねて得る技術や知識はこちらのほうが上だ。」(P240)に続けて、上記結論に至っている。
なお、
「心理学者たちは、何年も前からこのような発見をたくさん見てきた。しかし、そうした個々の研究の集まりを、あらゆる練習に適用できる一般原則に発展させたのは、1992年にシュミットとビョークが発表した『練習の新しい概念』という論文だ。彼らはこのなかで、運動と言語、勉強とスポーツのすべてに適用できると説いた。」(P240)
これって、“運動・スポーツ系の人は試験にも強い”といった言説(真偽不明だが)の根拠にもなりうるかもね。
さて、ここまで読んでくるうちに、反復学習法を採っている方は、不安になったかもしれない。
「これまで採ってきた勉強法は、ベストではなかったのか」等と。
…いや、少なくとも司法試験系の対策において、論文・短答過去問等をくり返し解く方法を採ってきた方は大丈夫!(°∀°)bそれこそがまさに「インターリーブ」法の最適な実践だから、これまで以上に自信を持って突き進んでほしい。
まず、確認しよう。
「インターリーブ」とは、反復「学習中に関連性はあるが違う何かを混ぜる」ことである(P247)。
司法試験系の論文・短答過去問を解いたことのある人には明らかなように、各過去問間に形式・内容的な共通点はある(→「関連性はある」:4Aはこれを担保できる)が、全く同じ形式・内容のものは1問たりとて存在しない(一部が同じ形式・内容のものは結構あるが)。
とすると、論文・短答過去問集(の一定範囲:民法総則だけ等でもOK)を1周して、次の周で同じ過去問に戻ってくるまでの間に、必然的に「違う」過去問が「混ぜ」られる。
また、同じ過去問でも、くり返し解く度に新たな発見がある…ということを、司法試験系の論文・短答過去問をくり返し解いている人は多かれ少なかれ経験しているはずだ。これも、解く対象は同じ過去問なのだから当然「関連性はある」が、実質的には(他の過去問も解いて実力が向上したりした新たな自分の視点で)「違う」過去問を解いたことになるかもしれない。
こう見ると、司法試験系の論文・短答過去問等をくり返し解くというOUTPUT反復学習法は、同じテキスト等をくり返し読むとか、同じ講義をくり返し聞くといったINPUT系の反復学習法よりも、「インターリーブ」法の実践として優れているといえないだろうか。
確かに、INPUT系の方法も、ある部分の説明を読んで・聞いて、次の周で同じ部分の説明を読む・聞くまでの間に、他の部分の説明を読む・聞くことにはなるだろう。
しかし、そのように部分部分に分けて、テキスト等を読んだり講義を受けたりしているという認識の人は、ほとんどいないのでは?(このような認識に至るためには、“目次や項目を意識する”ことが最低限必要だろう。)
また、問題を解く行為は問題形式によって「違」いが生じるが、読む・聞くという基本的に受動的な行為に「違」いを生じさせることは難しいだろう(もし「違」いを生じさせることができたとしても、その幅は問題を解く行為より小さいだろう)。
他にも、司法試験系の短答過去問集について、私は、できる限り“本試験と同じことをする”ことが最も効果的だという根本的方法論(cf.記事『過去問は「読む」べきか「解く」べきか』の3)から、肢別に分解したものより1問単位のものの方が良いと主張してきたが、「インターリーブ」法は、その理論的根拠にもなるかもしれない。
つまり、肢ごとの形式・内容の「違」いより、1問ごとの形式・内容の「違」いの方が大きく、「インターリーブ」法の実践として適切とはいえないだろうか。
さらに、実は既に紹介した「分散学習」法も分散させた学習の間にインターリーブをしているし、「“不真面目”な勉強」法も場所を変える等でインターリーブをしているので、「インターリーブ」法は、様々な方法論の本質をなすといえるかもしれない。
ただ、くり返しているうちにマンネリ感を払拭できなくなったら、「違う何かを混ぜる」ことができていないことを意味するので、何かを変える必要がある。
例えば、予備論文過去問を「完璧」にしたことによるマンネリ感を払拭できないなら、さらに司法論文過去問等に手を広げることが考えられるし、予備論文過去問をまだ「完璧」にしたとは言えないのにマンネリ感を払拭できないなら、予備論文過去問の解き方・書き方等の方法や、制限時間等の条件を変えるとかが考えられる。
(cf)記事『「潰した」≒「完璧」かどうかの判断基準』
最後に、次回予告。
上記のとおり、司法試験系の論文・短答過去問に“全く同じ形式・内容のものは1問たりとて存在しない。
この事実を、「過去に出た問題は二度と出ないから、過去問を解いても無駄だ」といった形で捉える言説がある。
私はもちろん、この言説は間違っていると確信している。その理由として、毎年半分くらいは過去問と同様の内容が問われていることや、過去・現在・未来の司法試験系の問題で一貫して求められる「(能)力」「素養」(cf.司法試験法1条1項、3条1・2・4項、5条1・3・4項)を鍛えるために最も有効だということを挙げているが、「インターリーブ」法の観点からも新たな説明が可能である。
これを後日、記事『反復学習の本質~「インターリーブ」その2』で紹介しよう。