自考能力開発講座 -2ページ目

自考能力開発講座

自分で考え、自分で行動するには、何が重要か?”考える”ということはどうすれば出来るのか?過去にとらわれ、今に悩み、未来を憂う人に贈る『自考能力開発講座』

「深謀遠慮」

しんぼうえんりょ・・・

深慮遠謀では?と思う人もいるだろう。
どちらもそう意味は違わない。
目の前にあることに対応するのではなく
未来に予測される事に対して
今のうちから、深く考え手を打つこと。

情報伝達の早い現代において
人が少し先のことを考えていても
あっという間に時が迫ってくる気がする。
忙しいと時への感覚は短くなるのである。

その意味でこの深謀遠慮を考える。
現代の深く遠くはどのくらい先を指すのか?

単純計算すると・・・
人生50年と言われた時代、例えば戦国。
今は人生80年・・・1.6倍も人は生きる。

京と江戸の距離は約125里(約500キロ)
江戸時代の旅は、大体1日約10里歩く。
すると今でいうと2週間弱かかった。
現代では東京⇔京都は
新幹線のぞみで2時間と少し・・・。
寿命が伸びて、移動時間が超短縮・・・

現代人の深謀遠慮は
生きる時間が長くなったことで
昔よりもっと先のことも考えなくてはならない。
それも高速の世界で考えなければならない。

しかし、人間の為すことは古今東西
そう大差がないことは歴史が示している。

生きる時間が増えても、それを補う速度が
現代人にはある・・・

ならば、昔から伝えられる深謀遠慮は
今も同じなのであろう。

転ばぬ先の杖、後顧の憂いなし、準備が全て…
人が生きるということは、
未来への備えを為しながら
歩んでいくということなのであろう。
今を生きながら、過去を省み、未来へ憂う…
深謀遠慮は天才軍師の専売でなく
誰にでも必要な人生の処世思考なのである。


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「乾坤一擲」

けんこんいってき・・・

のるか、そるかの勝負を天に任せて
トライすること。
「乾」は天の意、「坤」は地の意、
「一擲」は一度投げ打つの意。

一見、勇ましさが漂う言葉であるが・・・
正直、なるべくならこうせざる負えない状況に
我が身を置きたくはないものである。
ましてや組織運営をこれでやられたら
周囲が大いに迷惑する確率が高い。

それを踏まえて、肯定的に考えてみる。
では、どんな状況の際に
この乾坤一擲のチャレンジが活きるか?

追い込まれての乾坤一擲は失敗する。
やけっぱちでは、成果は覚束ない。

最後の最後まで追い込まれる前に
このチャレンジをしなければならない。

つまり、乾坤一擲は”余力”で
やらなければならないのである。

ただ、人間は余力がある時には
守りに入る傾向がある。
「何も今、そう無理することはない…」と。

おそらくここが人生をエキサイティングに
するかしないかの分岐点なのであろう。

多少の余力があり、今やりたいことがある。
「今やらなければいつやるのか?」と
自問自答してみるのである。

勝算は?成功確率は?重要性は?
・・・迷う・・・。

周囲に聞いてみる・・・
「止めておきなさい!」
「無理無理!」
「意味がない!」
さて、自分は止めることが出来るのか…?

実際あったこんな話がある。
あるメーカーが、自社商品のテーマパークを
作ろうとした時の話である。
社長は、取締役で議案を上げた。
重役達は、全て反対。
社長はこう考えた・・・。
「この頭の固い重役達が大反対・・・
これは絶対に成功する!!」と。

結果、社長決済でプロジェクトは進み
今では地域を代表する
大集客観光スポットとなっている。

周囲の意見は重要である。
他人の過去の経験則から出ている。

では長い歴史で見た時に
これまでの常識が、いつまでも通じたか…?
答えは”否”である。

問題はタイミングである。
時の流れを読む訓練を日々行ってきたか?

自分の仕事でなく、世の中の動きが
どんなベクトルで推移しているか・・・
予測⇒検証⇒修正⇒予測・・・
様々な分野で、今の姿がどう変わるか?
この訓練が出来ていてこそ
この乾坤一擲が活きてくるのである。
勇気と蛮勇は違うのである。

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「知行合一」

ちぎょうごういつ・・・

中国、明の時代の儒学者、王陽明が唱えた
陽明学の根本原理ともいえる言葉である。
知ることは行動の始まりであれ
行動は知の完成である・・・。
要は、知と行がつながることこそ
大切であるということ。
特に行動を伴わない知は
意味がないとされる。

さて、現代。
便利になったことは喜ばしいことだが
知から知への思考サーフィンが
多いような気がする。
深く思考することは大切だろうが
その過程でやはり試行や実験を
絡ませていくと知の大切さも
より感じるのではないかと思う。

バーチャルの世界も確かに楽しさはある。
ゲームの世界など今は花盛りである。

しかし、リアリティの世界で
恋をして、失恋して、また恋に落ちる…。
人との出会いの奇跡や不思議さを
味わうことは、本来人間が真に求める
感動の入り口なのではないだろうか?

バーチャルの世界は訓練なのである。
訓練は実践あっての訓練である。

バーチャルを楽しむためにも
少しづつリアルティの比率を
人生に増やしていこうではないか。


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「常在戦場」

じょうざいせんじょう・・・

常に戦いの場にいる心構えで
日々を過ごす姿勢の意…

幕末、長岡藩(現新潟県)の藩訓でもある。
因みに、この長岡藩は
『米百俵』の小林虎三郎や
ガトリング砲の河合継之助を輩出した
名藩のひとつである。

さらに連合艦隊司令官、山本五十六の
座右の銘でもあったのが
この常在戦場という言葉であったという。

この言葉を見た時に正直な感想は
”疲れはしないか…?”ということであった。
気を抜けない緊張状態を保ち続ける…と
解釈してしまった不明を今でも覚えている。

歳を経るごとにこの不明の解釈は修正された。
優秀な武道家であればあるほど
勝負の直前まで、筋肉は弛緩しているという。
また、猛獣例えば虎は獲物に
襲い掛かる直前まで全身の力みを隠すという。

つまり、常在戦場という言葉の正体は
戦いの直前まで、心身のリラックス状態であれと
言うことなのであろう。

そこにはやはり”訓練”や”経験”がいる。
そこで、緊張状態からの行動は
一歩遅れることを知るのである。

それを知ると”力の抜き方”を覚える。
そのうち、必要な時だけに力を入れる
タイミングや方法を身に付ける。

緊張感が表に出過ぎている人を見ると
”あぁ・・・失敗しそうだ・・・”と予見できる。
決して”必死で頑張ってる!”と思えない。

常在戦場…これは人生の達人が持つ
総合的な人間的魅力の
総称とも言えるのである。


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「言語道断」

ごんごどうだん・・・

仏法の真理は筆舌に尽くし難い…
ほど深淵にて高邁である。
・・・というように元は素晴らしい世界を
表現する言葉であったが
現在では、どんでもない、不埒な所業…
のような意味合いで使われることが多い。

今回は現代に合わせて話を進める。
現代社会は、昔に比べ
「前にならえ、全員進め!」的な
社会では無くなってきている。

戦後復興から高度経済成長時、
皆で力を合わせて頑張ろう!…と
この総合力で経済大国になった。

その時代には、大きなベクトルを
皆で認識共有し、細かな疑問もなく
どんどん進んでいけた。
時の移ろいに戸惑う事も少なかった。
従って、言語道断なるものは
極めてわかり易く、常識もシンプルであり
だからこそ、道徳論も語り易かった。

ところが現代はどうであろう?
例えば、国会議員が産休をとる・・・
「公人たるもの何を考えている!」
いやいや
「少子化対策のイクメン奨励策だ!」

これまで当たり前なことが
時の経過により、情報過多により
選択肢がバラけ、多様化してきた現代。

当然、個人主義の台頭時代である。
”我がさえ良ければ良い!”という
利己主義蔓延の端緒にならないかと・・・
杞憂であれば良いが・・・。

今の時代、多様化は当然であろう。
それだけ楽しみややりがいの幅も広がっている。
その流れは止められない。

だからこそ、思うのである・・・。
大きな思考の幹を、平成の言語道断論を
命に関してのことを中心軸にした概念で
あって欲しいと。

世界も、日本も・・・
21世紀になってあまりにも命の価値が
下がっているのではと危惧している。

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「朝令暮改」

ちょうれいぼかい・・・

中国、前漢時代に記された『漢書』を初め
様々な文献に登場する言葉である。
朝出した命令が、夕刻には変えられる・・・
定めがコロコロと変えられて
あてにならない例えでよく使われている。

さて、現代にこれを当てはめると
上司の指示が定まらず、部下のやる気を
殺ぐ原因となっている場合もある。

しかし、今回はこの言葉を肯定的に
捉える話にしたい。

というのも、現代社会は情報伝達速度が
年々早くなってきている。
地球の裏側で起こったことが
あっという間に我々の耳に達する。

国・地域や環境が変われば
此方で常識とされるものが
彼方では非常識とされる。
その違いを即座に知ることが出来る
今の世の中である。

こんな時代にあって、ひとつの情報に
固執していては、対応能力が低いと
言われかねない。

もし発した発言や指示が
誤りと判断した時点で即座に変更を
行うべきなのである。

ここで条件もある。
発信者の勇気と知性と決断の力である。
この3つを兼ね備えない限り
変更したは良いが、また元に戻るとなる。

君子は豹変する…
リーダーは、昔から発言や行動が
変わり易いのである。
逆に言うと、それが出来ることが
リーダーの資質とも言える。

リーダーは、朝令暮改が可能な
環境作りが大きな仕事なのである。
変化に即応できる人材や仕組みは
今後益々重要な環境整備となってくるだろう。

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「天衣無縫」

てんいむほう・・・

世俗に則った技巧にまみれず
自然天然の様で、尚且つ真善美をまとう様子。
天人や天女の衣は、縫い目のないことから
何事にもとらわれることないとの意を持つ。

このような生き様はまさに理想である。
現代人は、他人との縁の糸を
必死で紡ぎながら、未来へ歩んでいる。

「それが人の生きる道よ!」と言うのは容易い。
しかし、人は理想を忘れた時に
嗜虐的になり、卑屈になり、怠惰になる。

”こういう仕事がしたい!”
”こんな暮らしがしたい!”
”この世界で生きたい!”

人生における動機は様々であっていい。
でも、どう生きようと人間である。
そして魅力のある人間の共通項のひとつが
小さなこだわりをほとんど持っていないことだ。

「いいな…あの人はいつも自由で…」
「どうして、あの人はいつも楽しそうで…」
「なぜ、あの人はいつもニコニコと…」

周囲の嫉妬ややっかみの中
そんな人々は確かに存在する。

では、どうすればそうなれるのか?
『捨てる』…この思考フレームが
身についているからである。

それでは何を捨てるか…?
それは自分の中に答えは出ている。

”自分はいつまでこんなことをやっているのか?”
”自分はいつも逆の方向にいく・・・”
”自分はいつも人のせいにしてる・・・”

全ては自分の中にある。
自分自身の中で一番嫌いな所を
『捨てる』のである。
これは誰にでも入口までは来れるのだ。
分岐点は単純でしかない。
意識して捨てる時間を持てるか否か。

2020年の東京オリンピック、パラリンピックに
向けて、日本という我らの国は
もがきながらも、未来を築こうとしている。

国も、自治体も、企業も、そして個人も
『捨てる』ものに早く気付いた者から
新しい光景を手に入れられるのであろう。
何にしても、躍動する新生日本は
そこまで来ている。

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「四面楚歌」

しめんそか・・・

中国の歴史書『史記』のくだりに
楚の項羽が漢の国に攻められ
垓下(がいか)という地で四方を囲まれ
漢軍は、楚国の歌を歌い追い込み
絶体絶命の窮地に追いやられた様を
表した言葉である。

この状況は、もちろん官軍の必勝の布陣だが
意外とこうした攻め方は
味方にも被害が大きいことになる。

孫子の兵法にもあるように
敗色濃厚な敵を徹底的に追い込んでは
ならないのである。
必ず逃げ口を用意してあげることが
味方の被害を最小限に抑える戦法と。

現代において、加減や塩梅という考えを
持たない・・・いや学んでない人が多い。

例えば部下指導。
上司がこの発想を持たないため
部下を鍛えるという名目のもと
心身を追い込む事件をよく目にする。

一概に上司の度量不足だけを
あげつらうつもりはない。
しかし、リーダーや指導者はよく間違う。

人は自分の価値観と他人との価値観を
すり合わせて生きている。
社会的地位が上席の者が
下位の者に価値観を強要する。

当然、下位の者に”ストレス”が起こる。
人はストレスを受けると様々な反応を起こす。
ある者は・・・暴発し
ある者は・・・鬱積し
そして、ある者は糧とする。

現代人は我慢をしない傾向が強い。
これは、日本が豊かになった証拠でもあるが
逆にストレス耐性が弱くなったのだ。

組織の指導者は、ストレスを糧にする・・・
この想定はもはや止めた方が良い。

・・・では、どうやって人を活かすのか・・・?
人を鍛えるのか?
組織が我慢するのか?
人の要らない仕組みを作るのか?

どうも、未来はあまり人の要らない社会に
向かっているようである。

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「本末転倒」

ほんまつてんとう・・・

重要なことを行わず
些末なことに注力することを意味する。

この世の中、さかさまなことは日常に
充満している。
「なんで?」「逆でしょう?」「アホか!」
こんな出来事にほぼ毎日遭遇している
現代人にとって
世の中、まさに本末転倒。

さて、逆の目からこの言葉を考えてみる。
重要なことは、確かに誰の目にもわかる。
何故なら、需要なことはシンプルだからだ。

では、世の中ではシンプルなものが
どんな評価がされているかだ。
残念ながら、憧れや理想に近い
扱いを受けているいるのだ。

これは、飾りのない本質には
はっきり言うと”面白みに欠ける”のである。

そこには人間の欲目が大きく関与してくる。
人は欲深く出来ている。

腹が減って死にそう・・・
塩気だけのおにぎりに慈しむように食す。

それが当たり前になると
惣菜が欲しくなる。
漬物から始まって、煮物も欲しい
出来れば魚を、それと肉系を少し・・・。

それに慣れると
産地にこだわり、無農薬を求める。

情報過多の時代、
本質だけではビジネスにならないのだ。

”末”から入った方が人は興味を示す。
人は好奇な質を持っている。
飽きっぽいのである。

企業は、毎年、季節ごと新商品を出す。
スマホ市場などを見ていると
買ったばかりのスマホが
3か月後には型落ちである。

世の中は本末転倒が当たり前なのだ。
目先から入る。
そこで、その奥底にある本質にも
関心を示す思考訓練が欲しい。
いわゆる帰納法的思考である。

流行っているものには関心を示そう。
この帰納法的思考があれば
本末転倒社会も意外と楽しいものである。

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「落花流水」

らっかりゅうすい・・・

散った花が、水の流れに落ち
花はその水に馴染みあって
水も花を表面に乗せ
守るように運んでいく様をいう。

この光景は、よく男女の仲に例えられる。
花を女性、水を男性と考える・・・

花がある流れに落ちる…
女性(花)がある男性(水)と巡り合う…

流水はその花を優しく運んで行ってくれる…
男性(水)はその女性(花)をエスコートする…

男女の出会いの一端を垣間見るようだが
さてここで考えてみよう。

世の中には男と女しかいない。
天文学的な出会いの確率で
1組のカップルが成立する。
そして、未来へと血をつなげていく。

しかし、今は少子化の世の中。
なかなか・・・カップル成立をしない。
結婚をしない男女が多い。
それがすでに不思議でない時代となっている。

さて・・・?原因は何か・・・?
収入の低さもあるだろう。
子供を育てるコスト高もあるだろう。
我がの愉しみ優先も大きい・・・。

しかし、こんな時代だからこそ
改めて男とは?女とは?を
考えてみようではないか。

花に例えられる女性は
何故、女性が花なのか?

流水に例えられる男性は
何故、男性が流水なのか?

複雑怪奇な人間社会の中で
花の如く、流水の如く
典雅溢れて生きることは難しい。
皆、何かを背負いながら生きている。

その背負っているものを捨てると
いうことではない。
それはそれぞれの生きた証だからだ。
それを背負いながらのシンプルライフ・・・。

間もなくすると桜が我々の前に現れる。
そして、舞の如く散っていく。
その様を改めて、わが師として
今年は見ていこうと思う。

落花流水・・・
なんだか、粋で艶っぽい言葉である。

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