自考能力開発講座2
Historical Idea
小田原評定から見えるものは?
小田原評定・・・
「ダラダラ時間をかけて何も
まとまらない会議集まり」
こんな現状を比喩して使う。
元来は、北条家が月に2回の
重臣会議を持った事から
由来する言葉だが・・・
1590年の秀吉の小田原攻めの際に
籠城するのか?出撃するのか?
降伏か?抗戦か?
・・・と評定(会議)を繰り返しても
結論が出ず、ズルズルと自軍の環境を
悪化させていった故事から
現代では優柔不断な組織の会議を
意味するネガティブワード扱いを
されている。
しかし、小田原評定を他人事とは
笑っておられない。
現代でも、こんな集まりはたくさんある。
売上が芳しくない。
「皆で意見を出し合うために会議だ!」
「さぁ、誰か建設的な意見を!」
「それもいいが、こういうのもあるが・・・」
「いや、それは・・・なんとなく・・・」
「社長!ご決済を!」
「あぁ、来週までに意見を各自まとめて・・・」
総論賛成、各論反対が延々と続く。
話を戻そう。
北条家は、鎌倉の執権家、北条氏とは
異なる家系となる。
よく混同されがちだが、そこは整理したい。
室町時代の御家人、伊勢氏の流れを汲む
伊勢新九郎盛時が興した家である。
彼が、戦国武将北条早雲である。
知恵と才覚と度胸でのし上がり
次々と領土を広げ
関東の雄として君臨するまでの
戦国大名家となるのである。
三代の北条氏康など
かの武田信玄、上杉謙信などと
丁々発止のせめぎ合いを繰り返し
互いに敵ながら凄い奴!と
評し合うくらいであった。
ここまでは良かった・・・。
親父が大きくした会社を
おぼっちゃんが食い潰す・・・
現代でもよくみる光景である。
氏康の嫡男四代北条氏政である。

この四代目が御家の判断を
見誤った。
秀吉を成り上がりと蔑み
上洛勧告を無視し続けた。
姻戚関係の家康の助言も
聞こうとはしない。
こんな殿様であったので
戦の最中でも、家臣たちの
裏切りや内部通報などが頻発に。
…そして秀吉が仕掛けた罠に
あっさりはまり、朝敵扱い。
あっという間に20万超の大軍に
小田原城を包囲され、そして降伏。
秀吉は高みの見物をしながら
小田原場内の右往左往の情報を
せせら笑いながら聞いていた。
先祖の功績を自分の力だと勘違いし
自分で考え抜くことさえしない。
それはそうである。
おぼっちゃんは、小さい頃から
何でも、そう、考えることすら
周囲がやってくれて育った。
我々はここで学ばなければならない。
自分で考え、
自分で行動し、
自分で省みる・・・
人はこうして冷静な判断が
出来るようになっていくのである。
だから・・・
結論の出ない会議はやめよう!

























