自考能力開発講座2
Historical Idea
豊臣秀吉とは?
明智日向守光秀、謀反!
激震が走る。
天正十年(1582年)、本能寺の変である。
武家、朝廷、文化人…
この事件で、それぞれの思惑が揺れた。
この本能寺の変での最大の利益者は
結局、誰であったか・・・?
それは、羽柴筑前守秀吉その人であった。
日本歴史史上、最高の出世人。
天下一の成り上がり。
位人臣を極めた強運の持ち主。
様々な名称を持つ秀吉。
信長に認められるために、
死に物狂いで働き続けた。
血脈だけで高位を与えられる時代に
真っ向、実力主義をとる上司、信長。
そんな出世昇給システムに
秀吉は勇躍して、信長の要求に応えていく。
そんな中での事件が本能寺。
事件後、秀吉の行動が凄い。
中国大返し・・・
山崎の合戦・・・
清州会議・・・
賤ヶ岳の戦い・・・
本能寺の変が1582年
賤ヶ岳の戦いが1583年・・・
この短期期間で、信長後継の地位を
射止めてしまう俊敏な動きに
当時のどの武将もついてこれなかった。
さらに、朝廷をも取り込み、気を使い
そして金を使った。
今でも大阪は”太閤贔屓”である。
1590年、北条家攻略をもって
晴れて天下人。
日輪の子・・・と言われた秀吉の絶頂期であった。
しかし、時は秀吉をそのままにはしておかなかった。
秀吉は天下を取る前とその後は
その人格の変転をよく言われる。
天下を取る前は、
明朗闊達、人心掌握の天才とされる。
その証拠に、秀吉の周囲には
優秀な人材が続々集まるのである。
竹中半兵衛、黒田官兵衛、千利休、
敵方であった徳川、毛利、島津…
次々に巻き込んでいく
天下様になった時からおかしくなる。
人心掌握の天才も、気遣う相手がいてこそ
必要であった。
しかし、今は最大に”気遣われる”立場。
自分より称賛されるべき対象は排除し、
自分より能力がある人間は力を与えず
自分より人材が集まる武将に嫉妬する…
黒田官兵衛であり、千利休であった。
周囲には、イエスマンばかり…
それも官僚型の人間が取り囲む。
過去、自分を天下人に押し上げて
いってくれた武将たちを退けていく。
自分がダメだった時を知る人間を
排除していくのは、現代でもよく見る。
こんな環境の中で、朝鮮出兵。
戦国の世が、やっと収まったというのに
なぜ、太閤はまだ戦を続けるのか…?
武将たちは、自分の領地を
整備するどころではない。
借金をして戦費を調達しなければならない。
2度の朝鮮攻めで得たもの何もない。
この無謀な海外出兵の最中・・・
天下の英雄、豊臣秀吉は逝った。
その撤兵処理は徳川家康の差配で
粛々と行われていく。
豊臣政権を支えるのは、石田三成を初め
戦を知らない官僚型の家臣・・・
英雄の血筋を継ぐ、遺子、豊臣秀頼。
そこに君臨するのが、豊臣家の重臣で
我慢を重ね続けてきた徳川家康。
そして戦国の最終決戦”関ヶ原の戦い”
この戦いが戦国トーナメントの決勝戦。
家康の深謀遠慮がこの戦いを制する。
そして、大阪の陣。
大阪城にこもる豊臣秀頼、
そして信長の姪、秀吉の側室、淀の方。
後藤又兵衛、真田幸村などの活躍は
あったものの、多勢無勢…
ついに大阪城は落城、豊臣家は途絶える。
激烈な信長・・・
人たらしの秀吉・・・
新しい時代を招くための破壊があり
体裁を整える秀吉がいた。
そして、その盛衰を我慢して見続けた
徳川家康が治世260年間の礎を築く。
江戸時代の招来は、日本にとって
どんな意味があったのか?



































































