B-29日本本土空襲!
日本本土空襲は、第二次世界大戦において日本本土に対して行われた連合国軍による空襲である。
特に1944年末頃から熾烈となった。
その結果、日本全国の主要都市の殆どが灰燼に帰し、空襲は1945年8月15日の終戦当日まで続いた。また、末期には機動部隊艦載機や硫黄島から飛来する単発機による爆撃や機銃掃射も行われた。なお、幾つかの都市では、空襲とあわせて艦砲射撃も行われた。
11月24日はB-29により初の本土空襲が行われ、東京空襲では東京・武蔵野町の中島飛行機工場に対する空襲が行われた。
トゲナシトゲハムシ?
今日は、『進化の日』です。
【活用場面】
組織の中の個性が重要である。
ハムシは進化の過程で生息地域の特性や気候に合わせ、天敵から身を守るため、形態を変えて種を保存してきた。団体の中にあって、みんなが同じ方向を向いていたら全滅するところを、一部の進化により種を保存できたのである。組織の中で異端なようで実は、組織の活性化になっている人がいるのではないでしょうか?
『トゲハムシは、ハムシ科のトゲハムシ亜科に属しています。
トゲのないトゲハムシは、一般にはいずれも馴染みが薄い種ばかりでが、トゲハムシの仲間であることはまちがいなく、初めは「トゲナシトゲトゲ」という和名が付けられました。ただし、形容矛盾という理由から、近年「ホソヒラタハムシ」などという和名も使われているようです。
同じトゲハムシの仲間であるのに、なぜ体にトゲのあるものとないものとがいるかということですが、トゲのあるものは天敵の捕食に対抗する戦略からそれを発達させたと考えられます。一方、トゲのないものは、寄主植物であるサトウキビやヤシなどの葉と茎あるいは葉と葉の間の隙間に潜入します。天敵の攻撃をかわす方法に、このような大きく二通りの選択肢があり、しかもそれらは両立しないということから、われわれの目からは外見上大きく異なるこうした2方向への形質進化が起こったのだと考えられます。』
ハムシ→トゲハムシ→トゲナシトゲハムシ→トゲナシトゲアリトゲハムシ?なんてなったら複雑ですね!
日本軍玉砕・タラワの戦い!
タラワの戦いは、第二次世界大戦中の1943年11月21日から23日にかけて、ギルバート諸島タラワ環礁で行われた日本軍守備隊と米軍との戦闘です。
1943年11月20日早朝、日本側守備隊の砲台が射撃を開始し、アメリカ側の戦艦「メリーランド」も40センチの砲門で応戦。空母を飛び立った航空機も日本軍陣地への爆撃を行った。続いて戦艦3隻を主力とする艦隊が実に3000トンもの砲弾を撃ち込んだ。しかし、日本軍の籠る各陣地は弾力のあるヤシの丸太と珊瑚礁の砂で造られており、砲爆撃の衝撃をほとんど吸収した。
翌21日朝、新手の米海兵が上陸を開始。
上陸した海兵たちは猛烈な援護射撃のもとで火炎放射器と爆薬を用いる「溶接バーナーとコルクせんぬき」戦法で日本軍陣地をひとつひとつ潰していった。午後2時から上陸を開始した第6連隊第1大隊はほとんど無傷で上陸。海上からの艦砲射撃と空からの援護が大きな力となった。
日本軍の飛行機も時より海兵に攻撃をかけたが、22日未明に日本軍爆撃機が投下した爆弾8個のうち半分は海兵の陣地に、半分は日本軍の陣地に落下した。
22日朝、戦車を先頭に押し立てた海兵隊の攻勢が始まった。海兵は海岸に強力な拠点を築きつつあり、大砲や戦車が続々と陸揚げしてきた。いよいよ日本軍の抵抗が弱まってきた。夜間には約300人の日本兵が突撃したが、艦砲の援護を受けた海兵の反撃によって追い散らされた。日本軍の残存兵力約500人は島の東端に追いつめられた。
23日、最後まで粘っていた日本軍陣地が沈黙。前日の突撃失敗のためか、日本軍は効果的かつ組織的な抵抗が出来なくなっていた。海兵が占領した陣地に転がる日本兵の死体の多くには自決した痕跡が残っていた。正午、第2海兵師団師団長スミス少将が島の確保を宣言した。
翌24日には星条旗が掲揚された。
28日にはタラワ環礁の他の島も占領された。そちらでは日本兵の数も少なく、比較的容易に海兵隊の手に落ちた。