朝礼スピーチのねた ブクロ -183ページ目

梨はなくとも梨園!

今日は、の日です。


【活用場面】
 常識とかけ離れた時

梨園(りえん)とは中国、唐の宮廷音楽家養成所のことで、日本では転じて、一般社会の常識とかけ離れた特殊社会としての歌舞伎俳優の社会を指す言葉です。

由来は、唐の玄宗の初年(712年)に、唐都長安西北郊の西内苑内で、芸人達が梨が植えられている梨園と称される庭園に集められ、音楽教習府と呼ばれる施設で芸を磨いたことによります。音楽教習府には、太常寺太楽署所属の楽人で、坐部伎の楽人子弟、教 坊の妓女、宮女の一部とが属していました。玄宗の嗜好する法曲を、皇帝が直々に教えたため、皇帝梨園弟子と称さ れていました。

安史の乱で宮廷の音楽も壊滅して衰退し、その後再興されましたが、唐末の動乱によって、消滅してしまいました。

なるほど、常識とかけ離れた事件・事故が起きるのも頷けますね!

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市民パワーの通天閣!

今日は、ソフトクリームに波の日に通天閣の日です。


【活用場面】

 市民の力強さを再認識する!


東京スカイツリーが賑やかな昨今ですが、通天閣の話を聞いて下さい!


903年(明治36年)に開催された第5回内国勧業博覧会の会場跡地に、パリのエッフェル塔と凱旋門を模した通天閣が1912年(明治45年)7月3日にルナパークと共に建設された。


現在の二代目通天閣が再建されたのは、昭和31年です。初代が姿を消してから13年後のことでした。


通天閣が消えて寂しくなった新世界を復興しようとの地元の声をきっかけに、昭和29年に新世界町連合会役員らにより創立事務所を設置し、翌年の昭和30年、地元の人々からの出資によって、通天閣観光株式会社がスタートしました。


まさに、通天閣を愛する人達が作った、通天閣のための会社により運営されています。


因みに、初代は、


吉本興業に買収された後、太平洋戦争中の1943年(昭和18年)に直下にあった映画館・大橋座の火災で通天閣の脚部が加熱により強度不足となり、鉄材を軍需資材として大阪府に「献納」するという名目で1943年2月13日から塔は解体され、初代通天閣は姿を消したのでした。


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亀の子たわしの誕生!

今日は、ユネスコ加盟記念日、たこの日、たわしの日に谷川岳の日です。


【活用場面】

 三つ子の魂百まで!目標を持つ!


亀の子束子の誕生秘話です。


明治時代の中頃、東京は文京区小石川です。 働く母親に甘える、一人の少年がいました。
名を西尾正左衛門といいます。

「お母さん、一緒に遊ぼうよ」
「お母さんは仕事で忙しいのよ。 お鍋の中に、蒸したお芋があるから。 それを食べてから、お友達と外で遊んでらしゃい」

正左衛門はいつも、忙しく働く母親の姿を見ていました。
貧しいから、おやつはお芋ばかり、何より母に少しでも 楽をさせてあげたい。
大きくなったら、何か売れる物を発明してお金持ちになってやる。
毎日そんなことを思い続けていたのです。
この時の思いが、亀の子束子の全ての始まりでした。

大人になった正左衛門は毎日のように新しい何かを発明する 事を考えていました。
そんな時に、母が働く姿を見てある商品を思いついたのです。
それは、母が編んでいたシュロを針金で巻いた新型の靴拭きマットです。
それまでの、縄を編んだだけの靴拭きマットと違い、正左衛門のマットはブラシのように泥を削り取ってくれます。

売れ行きに気分をよくした正左衛門は、特許をとって大々的に販売を しようと特許庁に向かいました。
すると「似た商品が英国ですでに特許を取っている」と思いも寄らぬ 返答でした。
更にその新型マットは何回も使用したり、体重の重い人が乗ると、毛先が つぶれて効果がなくなると、欠点を指摘されてしまいました。

やがて販売したマットが大量に返品されてきました。
正左衛門の多忙で苦しい生活が続きました。

そんな生活の中でも正左衛門は、新商品を発明する心を忘れていませんでした。

ある日、妻(西尾やす)が障子のさんを掃除するのに、マット用の棒、シュロを曲げてそうじをしているのを見て、新たに洗浄用の道具を思いついたのです。

大急ぎで妻から受け取り、ながめてこれだ!とひらめきました。
曲げて手に持って使う物ならば、毛先が簡単につぶれることもない!

昔から、藁や縄を束ねた「たわし」は、洗う道具として使われていましたが、針金で巻いた棒状のシュロを洗浄用に使うのは初めてだったのです。

これを使うのは女性が多いだろうから、女性の使い易い形、大きさ、重さ・・・
正左衛門は妻の手を参考に試行錯誤を続けました。

正左衛門は苦心の末に出来上がった新商品の特許をとる為に特許庁へ向かいました。
この時、この丸みを帯びたものには、名前がなく実用新案に登録するためにも、商品名が必要でした。

う~ん、どうしようか。
なかなか思いつかないな・・・
そんな時、息子が

「お父さん、見て見て!亀が水のなかをおよいでいるよ!」

と声をかけたのです。
見ると、タライの中で亀が水に浮いて泳いでいました。
「亀か、なんだかこの"たわし"に似ているなぁ」
亀は長寿で縁起がよく、形も似ていて、水に縁もある。
「亀たわし・・・、親しみやすく 亀の子たわし」
「たわし」の漢字は当時の漢学者に相談して「束子」とあてはめてもらったものです。

・・・そこで生まれたのが"亀の子束子"

明治、大正、昭和、平成と1世紀以上同じ名前、同じ形、同じ品質、変わらぬ人気で現在でも年間600万個の製造、30ヶ国への輸出をし、ロングセラー商品となりました。

小さな少年の願いが、アイディアを生み大きな成功となり、「亀の子束子」を生み出すこととなったというお話でした。


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