朝礼スピーチのねた ブクロ -126ページ目

一流ホテルのお・も・て・な・し!

今日は、天皇誕生日、東京タワー完成記念日にテレホンカードの日です。


【活用場面】

 一流のサービスを知る!


東京タワーというと、リリーさんの本屋さん大賞に輝いた本もいいですが、今日は東京タワーの見える一流ホテルの話です。


ある日、東京のリッツ・カールトン・ホテルの予約センターに 一本の電話がかかってきました。

そのお客様は、ふるさとの年老いた母親が上京するのに際して、 ぜひ、リッツで泊まらせたいと話したそうです。


「母親は、若い頃、東京の浜松町界隈で仕事をしていました。  これが最後の東京見物になりそうです。  娘として、母の誕生日に東京での滞在をプレゼントしたい」とのことでした。

そのまま、予約を受け付けるのではなく、 電話を受けた担当者は、その娘さんにさらに話を聞きました。


すると、なぜ、そのお客様が、リッツを望まれたのかがわかりました。 ある雑誌に、「東京タワーが見えるホテル」として紹介されていたそうなのです。


リッツ・カールトンでは、予約の電話を受けた際に、 15分から20分も時間をかけることがあるといいます。 その会話の中から、ホテルに対してお客様が何を求めていらっしゃるかを可能な限り先読みするためです。


調べてみると、あいにく、その日は、 東京タワーの見える部屋は、満杯でした。 「東京タワーの見える部屋」 と言って指定されたわけではありません。 でも、予約係は、こう答えたそうです。


「申し訳ありません。  お客様にお薦めしたいお部屋は、あいにくすべて埋まっております。  しかし、芝公園にご希望にぴったりのホテルがあります。そのホテルの予約担当に知り合いがいますので、そちらの方からお客様にご連絡させていただいてもよろしいでしょうか。お母様にお喜びいただけるお部屋をご用意して下さると思いますよ」


そして、そのお客様がお泊りになる当日、 リッツ・カールトンのグッズと一緒に、 次のようなメッセージを添えて届けたといいます。


「このホテルのお部屋からは東京タワーだけではなく、  リッツ・カールトン東京も見えますので、手を振ってくださいね」

と。


意識するのは、ライバルのホテルではない。 お客様に、どうしたら喜んでいただけるだろうという一点。 できるようで、なかなかできないことです。

だから、一流と言われるのでしょう。

冬至にはカボチャを!

今日は、冬至に改正民法公布記念日です。


【活用場面】

 自然とともに!幸せな生活とは?


強烈な寒波がやってきました。昨日は冬至だから納得です!


二十四節気の一つ冬至は、毎年12月22日頃に、一年で最も夜の長さが長くなる日です。

昔は冬至の日は「死に一番近い日」と言われており、その厄(やく)を払うために体を温め無病息災を祈っていました。


ゆず湯を沸かし、かぼちゃを煮て食べてる慣わしは現在も続いています。


冬至の読みは「とうじ」。というわけで、湯につかって病を治す「湯治(とうじ)」にかけています。更に「柚(ゆず)」も「融通(ゆうずう)が利(き)きますように」という願いが込められているのです。


かぼちゃを食べるのは、現在は野菜が季節に関係なく供給されていますが、西洋野菜が日本に入るまでこの時期に取れる野菜は少なく、保存できる野菜も少なかったのです。


かぼちゃは保存がきき、保存中の栄養素の損失が他の野菜に比べて少ない。そのため、冬至の時期の貴重な栄養源でもありました。


江戸時代に普及しましたが、江戸時代中期から風邪や中風の予防にかぼちゃを冬至に食べる風習が根付いたといわれています。


これは、当時、冬場に野菜がとぎれてビタミン類が不足することからで、これは、日本かぼちゃしかない時代に始められた風習です。


かぼちゃの栄養成分の特徴は、なんといってもカロチンを多く含んでいることです。カロチンは、体内でビタミンAにかわって肌や粘膜を丈夫にし、感染症などに対する抵抗力をつけてくれます。「冬至にかぼちゃを食べると風邪をひかない」といわれるのはそのためです。


昔の人達は、どういう方法で一年で一番短い日を知り、ゆず湯で暖まり、かぼちゃの栄養成分の効能を知り得たのかは分かりませんが、しっかりと理にかなった方法で自然とともに賢く暮らしていたのですね。


情けは人のためならず!

今日は、遠距離恋愛の日と回文の日だそうです。


【活用場面】

 情けは人の為ならず!情けは回り回って戻ってくる。


歌舞伎十八番「義経千本桜」の中の義経のセリフ


「人間いたって嬉しいと悲しいとくやしいとは、忘れえずとかや」


この物語は、源氏が平家に敗れ3歳の義経が母の常磐御前とともに雪の中を落ちていきます。この親子を源氏の棟梁義朝の妻子と見抜いた平家の武将宗清は、あまりの不憫さに母子を見逃してやります。


それから時は流れ、今度は源氏が平家を滅ぼします。宗清は源氏の御曹司を見逃したために平家滅亡に至ったと後悔し、弥陀六と名乗り世を偲び平家の公達の墓守をして過ごします。しかし、宗清は源氏に囚われ、義経の面前に出ます。宗清は「自分は単なる墓守りである。」と訴えるのですが、義経は宗清と見抜きます。「そなたは平家の武将弥平衛宗清殿に相違あるまい。」と言います。「滅相もない私は・・・」と否定する宗清に、


「そなたは、まさしく宗清殿。その証拠は額のホクロでござる。」と言い

「人間いたって嬉しいと悲しいとくやしいとは、忘れえずとかや」と言って、幼児の頃の恩情に感謝し、涙を流します。


3歳児の頃の強烈な刺激が脳裏に焼き付いていたのです。


遠距離恋愛ではありませんが、時を超えて恩情が回文のように回り回って来た話とでも言いましょうか?