先日初めて流鉄(流山電鉄)に乗ってきた。↓
流鉄に乗ってきた 流山電鉄 2024年2月9日 | 3moon7riverのブログ (ameblo.jp)
終点の流山駅から分岐して、みりん工場への引込線が以前あった。
その廃線跡をたどってみた。
流山駅の横にある引込線のなごりと思える線路。
駅前から通行止めの標識のむこうに細い道がある。その先に跨線橋の階段。
これが廃線跡の起点。
跨線橋の階段から。道は右にゆるくカーブしている。
跨線橋の階段から。ゆるいカーブがつづく。
住宅地を抜けて。
県道5号線のむこうにつづく。正面にある四角い建物が現在も操業が続くみりん工場。
道の行き止まりに、流山市が設置した史跡の案内。万上線跡の説明。
案内板の前から、歩いてきたカーブの道路をふりかえる。↓
カーブの突き当りに、流山キッコーマンの工場がある。子供のころに「万上(マンジョウ)本みりん」という名前を聞いた覚えがある。関東では、醤油はやはり千葉の野田、みりんは流山、と江戸時代から言われていたようだ。どちらも河川による舟運が可能で、江戸に直結していた。ここでみりんが作られはじめたのは江戸時代だそうで、江戸時代はみりんは酒と同様に飲むものだったらしい。その後会社はキッコーマンに買収されたようだ。今でも万上本みりんはあります。西日本ではタカラ本みりんが有名かな。宝酒造が作っている。
で、工場の壁に、こんなものが。
まさにあのカーブに線路が。
工場内の積み下ろし場所。原料と製品のみりんの輸送に使われていた。
この引込線、万上線は昭和4年(1929年)に敷設され、昭和41年(1966年)までの37年間使用された。トラック輸送がさかんになりはじめるころまで使われたことになる。
工場のすぐ裏手に江戸川が流れている。 ↑下流側、↓上流側。
まさに輸送形態が、舟運→鉄道→トラックとシフトしていったことがわかる。