熱田神宮公園の桜と断夫山古墳 | 白木蓮のいとおかし日記  夏は夜

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木蓮のいとおかし日記  歴女のおでかけ編 

熱田界隈 桜をもとめて  歴史深い熱田巡りです

チャリチャリ  お出掛けです



 お堀が あります
 名古屋城ではありません
鹿  いませんし  人がいたびっくりびっくりびっくり
 熱田神宮そばの断夫山古墳です
桜綺麗照れ照れ照れ照れ

 よいこは はいっていけません
 しかし 管理事務所に言えばいつでもはいれるそうな
神宮球場
江戸時代は 3/3しか 入れなかったと
 いやいや パパさんは ここであそんでいたそうな
スズメバチがいるから やばいと
古事記』『日本書紀』では、「ヤマトタケルは東征の折、この尾張の地で豪族の娘ミヤズヒメと結婚の約束をかわしたが、東征の帰途病気がもとで死に、白鳥となり飛去った」とあります。
この白鳥となったヤマトタケルの墓が白鳥古墳であり、ヤマトタケルへの思いをいだいて死んだミヤズヒメの墓がこの断夫山古墳であると伝えられています。この事から夫を断つ山、断夫山古墳と名前がついたそうです。

断夫山古墳と尾張氏

前方後円墳の形は大和王朝が伝えた墳形です。古墳の大きさは葬られた人物、その権力をうけ継いだ人物の支配力の強さを語っています。
断夫山古墳の大きさから、大和王朝と密接に結びついた、尾張地方の強大な支配者であることが考えれます。『日本書紀』によれば、尾張連草香(おわりむらじのくさか)の娘であったメコヒメが継体天皇(けいたいてんのう)の妃になったとあります。これらの事から熱田台地に本拠地をおいていた尾張氏の墳墓と考えられるのです。

正式な発掘はなく手がかりは少ないですが、他の古墳との関係、墳形、わずかな出土品などから推測すれば、5世紀末から6世紀初頭に築造されたものと考えられます。

 手付かずの古墳  
ながく 熱田神宮の敷地としてありました
戦後愛知県が 管理することに
なったそうです

 古墳印なるものがあるそうです
 御城印なら 知ってるが

 猫ちゃん  

 愛知にある有名な古墳
 八幡山古墳は わかるわ
鶴舞公園の裏だわ
 大須二子山古墳は なぜか京都人のくららさんが あっぷしていた古墳ね
あれ?那古野古墳だわ
じゃあ 大須二子山は どこだ?
 


 300円 もらったどーニヤリニヤリニヤリニヤリニヤリニヤリニヤリニヤリニヤリニヤリ








白鳥庭園へいく 記念橋
白鳥国際会議場
すぐ向こうが 白鳥庭園です
 たいむあっぷ びっくりびっくりびっくりびっくりびっくり
歯医者の時間です
堀川  わたれません(笑)笑い泣き笑い泣き笑い泣き笑い泣き笑い泣き
たまっちさま~ どこ~て
朝  みつかったばかりでした (笑)