京都 積翠園の紅葉 11/26 | 白木蓮のいとおかし日記  夏は夜

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 木蓮のいとおかし日記   京都おでかけ日記編 

 京都  錦秋極上女子旅  その3から

 東山七条フォーシーズンズホテルのお庭  積翠園の紅葉です   11/26



  平清盛の 長子 平重盛(小松殿)の お屋敷あと

案内板は 積翠園だか  フォーシーズンズホテルHP

面積約10,000㎡の大池庭は、東から西にかけて細長く、東端の向こうには、かすかに東山連峰を望むこともできます。池は、東寄りの位置に設けられた石橋を境に、大小 2つに分けられ、東側の小池は一段高く造られています。南東角には、往時の滝の石組の一部も見られます。西の大池には、東部に大島が1島、中央部に小島が 1島、それぞれ配されています。昭和期の作庭家・日本庭園史の研究家である重森三玲氏は、大島の配置が山畔に接していること、小島が池中にあること、そして前述の滝の石組が山畔に組まれていることに、平安時代の庭園の特徴を見いだしていると伝えています。さらには、大島の正面にあたる対岸がやや出っ張っているのは、ここに平安時代の寝殿建築を設けるためだったのではないかと考察しています。
  平安時代の石組が残っています


多くの寺社仏閣が立ち並ぶ東山の地は、平安時代に圧倒的な権力を手にし、栄華を極めた平家や安土・桃山時代の豊臣秀吉のゆかりの地として知られています。そのなかで当ホテルの「積翠園」は、平安時代末期の武将・平重盛(1138 ~1179年)の別邸「小松殿」の園地と伝えられており、その理由については、この場所が「平家物語」の記述と合致することや、近年の調査により庭園の意匠に平安末期の特徴が確認されたことなどが挙げられています。さらに、江戸時代に入るとこの地は元和元年(1615)に隣地にあった妙法院の所有となり、「積翠亭」や「積翠軒」などと呼ばれていたことが尭恕法親王(ぎょうじょほっしんのう)(1640~1695年)の日記から明らかになりました*。その後「積翠園」は、江戸時代(元禄期)に改修されたものの、現存する平安時代末期の庭園は数少なく、貴重な文化遺産でもあります。




 カフェタイムしなくても お庭は拝見できるらしいが
マダムは  カフェいただきました
 1500円に税金 サービス料
 もろもろついて 2000円弱となりました 😅
  

フィナンシェ
さあ 散策








茶亭   














入り口のぶんぷんは ダイジェストみてね
このときは 豊国参道からしか入れりれなかったが いまは どうかな?