それがモーツァルトのオーボエ協奏曲ではなかろうか。30余年の短い生涯におびただしい数の楽曲を創作したモーツァルト。中でもコンチェルトはソロ楽器としての特性が極めて低かろうと お構いなし、彼の楽想の趣くまま作曲は成されている。【一説によるとバセットホルンの為のコンチェルトまで書いていたとか?…残念ながら楽譜は紛失してしまい後世には伝わっていない云々との事。】かの時代 彼は特定の楽器の名手を照準にコンチェルトの創作を行ったり 或いは注文を受けて作曲したりと その成立の過程は様々であったろうが そんな中首尾一貫しているのが、やはり彼の楽想の妙と奏者に対する大胆なテクニックの要求であろう。楽器そのものの精度が今日より劣っていた時代 限界を極めるまでの機能的手法と音楽性を奏者に求める事はかなり酷ではある。しかしモーツァルト本人は 恐らく そこには全く頓着は無かっただろう。演奏する事自体それが難しかろうが簡単であろうが関係はない。唯一彼の脳裏にあるのは自らの音楽のたゆまぬ完全な形での表現 言わばその完結のみが彼の目標であったに違いない。曲はあまねく優美でナチュラルな旋律と透明なハーモニーとバランスに覆われ聴く者を魅了してやまない。オーボエ協奏曲C-dur. K314も又その 例外ではないのだ。一重にモーツァルトのこうした創作姿勢の賜物として存在しているのだ。しかし どうだろう!。この曲の何んとチャーミングな事か!こんなに美しく天真爛漫な曲を書けるのはモーツァルト以外にあり得ないし 彼をおいて後にも先にも類例とて見出せない。まさに神童である所以をここにも又、我々は垣間見る事となる。
(ルチアーナ筆。)
オーボエ協奏曲C-dur. K314。
《W.A モーツァルト作曲》