微笑ましい” 笑顔のバッハ。 | ルチアーナの音楽時評・アラカルト。

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40年以上に及ぶ音楽家としての筆者の活動と
その経験から得た感動や自らの価値観に基づき
広く芸術、エンターテイメント等に独自の論評を
加えて参ります。現在小説 愛のセレナーデと、
クロス小説 ミューズの声を随時掲載中です。
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優れた演奏家を育成する為、俗に言う英才教育は欠かせない。しかし私は過剰な期待により子供の人生・生き様を場合よっては【がんじがらめ】にしてしまい 将来に渡って生涯における様々な選択肢を狭め・阻害する危険をはらんだ 【無理強い】に繋がる恐れをこうした早期教育に垣間見る瞬間をどうしても禁じ得ない。これはやはりあくまでも生まれ持った才能を極めてナチュラルに子供達が発散し それを周囲の大人が優しくバックアップ出来るかが カギであり、その流れが軌道に乗れば それがまさに理想的な展開であろうと私は基本的にそう考えている。教育とは難しいものである。子供は全てにおいて先ずは【白紙】の状態だ。そこから 漏れ輝く ひとすじの光を大人が発見した時から その育成が始まる。 私が先述した理想は 教育の概念として大いなる希望でもあるが せっかく 授かった才能を開花させる時 周囲はやはり野放図ではいられない。手付かずの状態で放置すれば みるみる才能は枯渇する訳でもあるからだ。要するに時として厳しくトレーニングを強いる事も とかく【お尻をたたく】事も必要となる場合があるのは充分理解出来るのだ。私の論調は矛盾しているが その狭間で私も音楽教育に携わる人間として多年 こうした問題で悩まされている事を申し述べておきたい。6歳の幼い姉妹が驚くべき技巧を持って奏でるバッハの【二つのヴァイオリンの為のコンチェルト】こんな演奏を聴かされたら やっぱりこれは 実に微笑ましいし、その現状を英才教育の賜物である事実として認めざるを得ない。元々 私はこの曲のファンでもあり それをこんなに愛らしく しかも堂々とアンサンブルに程よく同化してまとめ上げる 幼い才能には脱帽である。ここでの収録は第一楽章のみだが 引き続き第二・第三楽章も聴いてみたいところだ。才能を育てる事はある意味 賭けでもある。大成するかどうかの結果は容易に出せるものではない。そして子供達の人生を大きく左右する事でもある。同時に私も含め 多くの大人達は その芽生えと将来の成功をどこかで願っているものなのだ。この二人のバッハを聴いて【笑顔】にならない大人は皆無だろう。才能を持った子供達が その能力を如何なく発揮出来る様 願うと同時に 将来それに苛まれる事とない様 これも又祈り 願うばかりだ。
(ルチアーナ筆。)