熊本県を中心として九州全土を襲った未曾有の大地震発生から早一週間を経過しその余震活動も依然収まる気配を得ず、被災地の状況は日々刻々と度重なって新たな難題を抱え深刻極まる光景を呈している。そんな中、全国各地からは多くの災害支援の手が差し伸べられ今更ながらこの国の人々の善意の意思の如何に熱い事かを悟らされた昨今である。しかしそうした善意の輪が広がれば広がる程、それが時として曲解され偽善であるが如くかえって非難・中傷の矢面に置かれる様な状況も垣間見られる様だ。確かに今の高度情報化社会においては一つの事柄が自らの意思とは全く間逆の方向へと解され、善意が額面通り受け取られない事も起こり得るのだろう。特に世に著名な人々は、事が災害支援であった場合などは尚更、売名行為だの偽善だのとあらぬ非難を受けるまさに標的にされるのだと思われる。人は個々に、よって立つ思考の軸が違うのであり心持ち一つで物事の真意を如何様にも理解・解釈する事が常である。義援金を被災地に送る事なども尊い行為であるのだが、やはりその額を余りにもあからさまにすると何か深読みされてしまう事はどうしても避けられないのかも知れない。私なども今回些少ではあるが義援寄付をさせて頂いたが、その額や手順などを声高に述べる必要など全く感じていない。義援寄付はその行為自体当然、人各々の真心に委ねられる問題であり、ましてや義務である訳でもない。人知れず自身の善意を示せばそれで良いし【それ以上でもそれ以下】でもない。そこまでで完結である。確かに【真心と偽善】、ひょっとすると紙一重の行為なのかも知れないが今は何んと言っても非常時である。この国に生まれ育まれた我々全ての人間が被災地・被災者の皆さんに心から思いを寄せて実直にこの苦難から一日も早く立ち直られる事を祈念する事が最も相応しい態度なのだと私は思う。
【明日は我が身】!そう思えば自ずと皆、分かる筈である。この日本に生まれたと言う事は即ち、そう言う事を意味するなのだと私は今つくづく思っている。
(ルチアーナ筆。)