心に染みる音” ブラームス。 | ルチアーナの音楽時評・アラカルト。

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アイザック・スターンのヴァイオリン、レナード・バーンスタインの指揮、ニューヨーク・フィルの管弦楽で綴るブラームスのヴァイオリン協奏曲D-dur。往年の大家の共演によるこの名盤を久しぶりにターンテーブルに置き針を下ろした。このアナログ盤を私が購入したのはかれこれ43年前に遡る。確かこの前後アイザック・スターンの来日が実現しN響と同曲の演奏を共にした事を私は今も鮮明に覚えている。指揮は森正 氏であった?様に思うがそこは残念ながら記憶が不確かだ。いずれにしても私は当時古いブラウン管のモノクロTVに映し出されたスターンのソロ・ヴァイオリンの素晴らしい音に心底感動して同曲のレコード購入を決めたのであった。レコードケースの裏面には当時の定価が書いてある。【¥1800】当時としては高額と言えようが私は若い頃からこうした名盤の収集に余念がなく、手持ちの小遣いも殆どをこれに投資したものだった。おかげで今、私は貴重なかつての名演を含むレコードを数多所有するある意味、コレクターになっているのである。自慢の様だが盤の状態も極めて良好、まるで【昨日】録音したと言っても遜色のない見事な鳴りっぷりで円熟期を迎えた当時の巨匠達の最高のパフォーマンスを享受する事が出来る。ブラームス唯一のヴァイオリン協奏曲は言うまでもなくベートーヴェン、メンデルスゾーンのそれと肩を並べる音楽史上に輝くまさに金字塔であり不朽の名作である。シンホニーを彷彿とさせる強固な骨格とパワーを持ち深い精神性と共に正統的な形式美と荘厳さを醸し出す重厚な色調、第一楽章の冒頭から聴き手はその壮大な音楽的支柱の前で釘付けになる事必定だ。そして第二楽章、オーボエによる【天上のささやき】とでも例えたくなる【最上の美】に包まれたテーマが提示され、続いてソロ・ヴァイオリンが気品と叙情性に満ちた旋律を奏でる。まるで人の心に何かを問いかけ諭す様に…。これこそまさに実直で誠実な人ブラームスの人間性を余す事なく表す真実の発路であろう。深々とそこに秘められた想いを我々は噛み締めずにはいられない!【美の極致】である。続く第三楽章はジョコーソ、快活でありながらマイナー、ブラームスの音楽に底抜けの放漫さはない。重厚でむしろ抑え気味のテンポそして分厚いハーモニーと多重的色調、シンホニック・コンチェルトとでも言いたくなる程の骨格を持った構成だ。これだけの規模を誇り、聴き手にも厳格なまでの受納感覚を求める作品も珍しい。決してリラックスしては聴けない。だからと言って肩がこる訳でもない。ブラームスはこの協奏曲を通して聴き手に芸術のあり様を厳密に教え込んで来るのだ。しかし若き日のスターン&バーンスタインの共演によるこの盤から聴こえるブラームスは重厚さに裏打ちされた作品の骨格を充分に考慮しつつも、その躍動感は比類のないものだ。作曲者の表現意図と演奏者の天才的感性が最高度に融合した現在ではもう二度と体現されない【名演中の名演】それがこの古きアナログ・レコードに秘められた【永遠の価値】である事に間違いはなかろう。【心に染み渡る真実の音。】ドイツ後期ロマン派の巨星、ヨハネス・ブラームスの作曲した唯一のヴァイオリン協奏曲D-durは最高の演奏、名演によって私に改めてその真価を認識させてくれた。優れた芸術こそ今更言うまでもなく、まさに【人類の宝】である。私はその渦中に身を置き今の今まで生きて来られた事に心から感謝しているところである。
(ルチアーナ筆。)