アンダンテ・カンタービレ” | ルチアーナの音楽時評・アラカルト。

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1/10のEテレ、クラシック音楽館。今回も本編はN響の現在の実力とその成果に値する充分な内容を示した素晴らしいものであったが私はこのオンエアでは寧ろ後半僅かな時間に組み込まれた演奏(コンサートプラス)に注目した。チャイコフスキーの弦楽四重奏曲第1番しかも抜粋である。東欧の若手奏者達が奏でる物静かでしっかり制御された精密なアンサンブル、心は止めどなく癒された。第二楽章から放送された今回、「いきなり何んだ」と思ったが聴き始めて程なく私はそれこそ半世紀にもさかのぼる幼い時代にその思いを馳せていた。この曲の第二楽章、作曲者チャイコフスキーの指示は【アンダンテ・カンタービレ】である。これは元来イタリア語、クラシックではテンポ、発想表現等、作曲者が楽譜に書く指示語はほぼイタリア語がセオリーである。幼い頃、私はこの第二楽章のみを学校の音楽鑑賞で聴かされ題名が【アンダンテ・カンタービレ】なのだと解してしまった。【アンダンテ・カンタービレ『歩く程の速さで歌う様に…。』】これは曲を演奏する為の作曲者の意思・指示なのであって当然曲名などではない。しかしそんな基本的知識を今は完全に心得つつも、この優美で素朴なロシアンサウンドは【アンダンテ・カンタービレ】と言う曲想指示そのものがまさに音楽全体をしみじみと包括する心温まる曲想そのものを指し示す様な風情を醸し出す不思議な雰囲気を有している。心穏やかに清々しい明快でいて何処か古びた様な独特の世界観。ロシアの民族音楽の特性を基に作られたこの美しいメロディーは万人が共通して安らぎを得る事を可能にするまさに最上の名旋律であろう。19世紀末、国民楽派と呼ばれたロシアの民族的風土を表現的根幹とした音楽創作運動はやがてチャイコフスキーの登場によりその最盛期を迎える。最も著名にして壮大かつ繊細な美質に包まれたチャイコフスキーの諸々の作品は東欧に於ける西欧音楽との統合のシンボルとして今や名曲の誉れ高き象徴でもあるが、こうして心静かに流れる室内楽を改めて耳にするとこの偉大な作曲家の芸術的でもあり又、庶民的でもある音楽的柔軟性をひしひしと感じ取る事が出来る。それこそこうした名曲がクラシックを【肩のこらない】存在へと導き育む素地として愛聴される事を私は真に望むものだ。
クラシック音楽はその存在そのものが完成された芸術の体現であり、我々凡人があれこれ理屈を発する必要はない。ひたすら味わい聴く事、その行為によって真に芸術は人心に響き宿る事となる。チャイコフスキー作曲【弦楽四重奏曲第1番】はそんなキッカケを作ってくれる美しく、優しくそして甘美な作品である。誰でも一度は耳にしたであろう第二楽章【アンダンテ・カンタービレ】ここだけ注目して頂いても結構だ。諸兄にももう一度お聴き頂きたいものと切に思って止まない。
(ルチアーナ筆。)