ニューイヤー・オペラコンサート。 | ルチアーナの音楽時評・アラカルト。

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これも又、NHK恒例の番組であるニューイヤー・オペラコンサート。今年もNHKホールから3日.19:00よりEテレでのライブ中継が行われた。我が国のオペラ界をまさに牽引する優れたオペラ歌手達の年に一度の競演がここで展開するのである。…がしかし本来私が最も熱狂しそうなこのコンサート…!。実の所正直この十年来余り感心しない事しきりなのである。その昔このコンサートは私にとって破格の価値を持った番組だった。それは会場に出向く程そしてその生放送の緊張感に心震えて会場の指定席に身を下す程だった。そう!年に一度の私の極上のひと時であったのだ。もっとも会場もNHKホールではなかった。今はもう無い新宿の厚生年金会館大ホールであった。そして当時このコンサートは実にオーソドックス、淡々粛々と壇上のオーケストラを背後に当代随一のオペラ歌手がアリアやアンサンブルを歌い清々しい時を刻んでくれたものだったのだ。だが時を経て会場がNHKホールに移ってこのかたオーケストラはオケピへと移動しコンサートはオペラ本公演の形態を取りステージ上では司会者が物語仕立てでコンサートを進行すると言う様式に変貌したのである。しかしこれ…!私に言わせてもらうならば実に中途半端でわざとらしく歯の浮く様な演出としか思えないのだ。その日の歌手達の好不調など棚上げにして台本通り【大変心に染みる素晴らしい歌声でしたね!。】【ハイ、私も感激致しました。】なんて言う司会者同士が挟むお世辞の言い合い等コンサートに取って【百害あって一利なし!】だ。オペラの本質を余す事なく味わうなら一つの作品を本公演で音楽演劇として総合芸術として視聴すれば良いのだ。曲に合わせてアリア一曲歌う為に舞台衣装をまとうなど馬鹿らしい限りである。又、二時間~三時間の上演時間を要するオペラの断片を切り取って見せても全く個々の作品の価値を知らしめる事には貢献しないのだ。ニューイヤーオペラ・コンサートはいわゆるガラ・コンサートに徹するべきだ。歌手は燕尾&タキシード・ドレスでオーケストラ前で淡々と最善の歌声を持ってアピールすべき…でないと演奏が総じて荒れる!。クラシックのコンサートは伝統として存するスタイルを頑なな迄に守る事が肝要なのだ。何故ならクラシック音楽に人心に媚びなければならない様な或いは媚びなければ今後成立出来ない様な欠点など微塵も無いからである。昨今クラシック音楽の大衆化が大切だなどと妙な事を唱え俗に【肩のこらないクラシック】を触れ込んでメチャクチャをやって恥じない自他共に認める著名な演奏家がいるが、そんな輩がクラシック音楽の真髄を汚す元凶だと私は思っている。【クラシックは敷居が高く、かた苦しいもの!】なのだ。それで良いではないか!。だからそこから真の芸術的価値を見い出し素晴らしいと感じクラシック音楽のファンになる為には聴き手にも勉強が必要なのである。芸術的秩序と形式美を蔑ろにしてはならない。従ってニューイヤーオペラ・コンサートにも又、大きな反省を求めなくてはならないと私は思っている。今年の公演が聴くに耐えないものだったなどとは決して思わない…がしかし楽しく穏やかにこれを鑑賞する気持ちになったか?っと尋ねられれば答えはNOであると残念ながら今年も言わざるを得ない。現役を退いた身ではあるがこれでも私は声楽家の端くれである。歌唱芸術の本来のあり方本質に付いては生涯その正しい方向性を追求していきたいと思ってやまない所である。又それが後進を育てる責任の一端であるとも強く思うのだ。
(ルチアーナ筆。)