明けて2016年。私は喪中に付き祝詞はご遠慮するが、然りとて年末から年始にかけて視聴した数多の映像・番組等について論評しておこう。大晦日恒例NHK紅白歌合戦、さて二部制になって久しいこのNHKの虎の子番組も今回、過去最低の視聴率で惨憺たる結果に終わった様で何んとも眼を覆いたくなる有様である。近年さまざまな指摘がある様に取り分け出演者の選考基準の曖昧さ等NHKが抱える旧態依然たる番組編成方針がやはり番組を決してポジティブな方向へ未来志向の展開を伴って進んでいない事をここで白日の下に改めてさらす結果を生んだと私は思っている所だ。視聴者の心を揺さぶる様な俗に言うサプライズがあった訳でもなくAKBのパフォーマンスでアッちゃんや優子が出て来てもそれは【高みな用】であり決して視聴者を興奮させるに値しない。オオトリがマッチと聖子ではインパクトも新鮮さも感じ取れない。私の【箱推し】乃木坂46も全体企画では台本通り。ロボットみたいで彼女達の本質的な良さを綺麗に剥ぎ取られてしまった。これでは今後どの様な企画を取り入れ新鮮さ斬新さを提示するかに余程の覚悟を持って臨まない限り暮れの風物詩が只のマンネリ化と売れない演歌歌手の救済番組に益々なり下がるのを防ぐ事は絶対に出来ないものとNHKの編成局も相当厳しく受け止めるべきではあるまいか。とにもかくにも若手はもとよりベテランと称する出演者も含めて真に【歌】を聴かせると言う本来当たり前の本物の歌手が今は皆無である事も改めてあからさまになった。美空ひばり・島倉千代子・岸洋子。デュークエイセスやボニージャックスの全盛時代が益々懐かしい!。だがひるがえればこの【底クォリティ】が我が国の今のエンタメ界の現状でもあるのだから致し方ない。【あ~あ情け無い!】。それに引き換え比べるのは余りに次元が違い過ぎておこがましいが、この紅白の真裏「Eテレ」で放映されたN響の【第9】の実に見事な演奏であった事か!。正直言って脱帽した。これも又毎年恒例の【第9】である。指揮者の違いこそあれ、そう大きな印象の相違はないものと思って紅白視聴後タイムシフトして聴いたせいもあったのかも知れぬがとにかくモニターに釘付けとなった。【第9】のTV放映でこんな想いに駆られたのは近年そうそう記憶にない。首席指揮者パーヴォ・ヤルヴィの統率と柔軟でエレガントなフレーズ展開、【第9】をこんなにも暖かく微笑ましく聴いた事はかつて無かった。ソリストも喜びに満ちた歌声を聴かせ、何より合唱が瑞々しく爽やかだ。国立音大の学生も実に生き生きとヤルヴィの表現の中に同化し単位取得の一環として義務で歌わされている様な感覚は微塵も抱かせなかった。「例年もっと冷めているのだが(笑)」ベートーヴェンの綴った音符の隅々まで綿密に描き切るこの次世代を担うマエストロの【第9】。久々にディスクへの保存を決めた次第だ。後味の悪い紅白の後、同じNHKの表裏でこんなにもレベルの違う番組を同時にオンエアしているまさにNHKと言う公共放送も考えて見れば、実に可笑しなメディアである。そう思いながら最後まで聴き終えた。明けて元旦、夜はウィーンフィルニューイヤーコンサート2016”のオンエアである。マリス・ヤンソンス3度目の登場で今年も世界最高水準のサウンドを耳にし、これはもう【良いの悪いの!】っと
くだらぬ論評をするには及ばない楽しいコンサートであった。俗にウィーンサウンドと呼ばれる透明で純度の高い染み渡る様な壮大にして美しく緻密な音世界、これはもう完全にウィーンフィルにしか出せないこの世で最も清らかなサウンドである。高度なデジタル伝送がもたらした高音質の享受、今や世界の何処に居ようともこのサウンドを耳にする事が可能。これこそ【至福の時】と言わずして他に相応しい例え様があろうか!。時代の流れは否応無しに様々な変化を我々の眼前に展開して来る。音楽芸術も含むエンタメの世界も当然例外ではない。全て現状を鑑み如何なる方向性を見据えて発展的に前進させるかの思考とその為の手段をどう講ずるかが問われるものと私は考える。今年もそうした観点からありとあらゆる分野で私なりに言いたい事は正直に言わせて頂く所存でいる。どうぞ雑筆ではあるが今年も切にご光覧の程お願い申し上げる次第だ。私の【論評事始め】は【紅白】.【第9】.【ニューイヤーコンサート2016”】まぁ~音楽家である私としてはまぁまぁ、そこそこの取り上げ処であったやに思っているのだが…。
(ルチアーナ筆。)