全てはここへ帰着する”。 | ルチアーナの音楽時評・アラカルト。

ルチアーナの音楽時評・アラカルト。

40年以上に及ぶ音楽家としての筆者の活動と
その経験から得た感動や自らの価値観に基づき
広く芸術、エンターテイメント等に独自の論評を
加えて参ります。現在小説 愛のセレナーデと、
クロス小説 ミューズの声を随時掲載中です。
こちらもご覧頂ければ幸いです。

少々大袈裟か?いやどう考えても
私の感性のおもむく所は
この楽曲への想い入れ、即ち
最後にはこの曲の持つ
計り知れない崇高なまでの
精神性へと帰着する。
ポップスは言うに及ばず
ジャズも言わんや壮大華麗な
シンホニーですら
私の精神的帰着点とはならない。
そして私の全てを
虜にして決して離さないその
高き精神性を持つ唯一の楽曲とは
何か。それこそが
モーツァルトのレクイエム。
それに他ならない。全知全能の神
を讃え、人の死とその魂の救済を
ひとえに乞い願う悲しみの中の
深き信仰と安らぎ。
我々の思想・信条の自由をも
はるかに超越してこの作品の前で
人はその耐えなる調べに底知れぬ
深き感動を得るのだ。
人類が到達し得た最高峰の芸術。
しかと心して聴くべし。
C・アッバードの逝去を期に
今日私はこの不滅の名歌を
改めて、心静かに聴いた。
演奏はこれも又、昨年逝去した
イギリスの巨匠
コリン・デイヴィスのタクト。
先年ドレスデン国立歌劇場で
行われた特別演奏を
収録したものだ。
モーツァルトが死の床で書き綴った
白鳥の歌、レクイエム。
この孤高の美に溢れた祈りは
どんな言葉に例えようとて、
表現し尽くせぬ。
我々はただ、
体現されたその世界を実際に
経験しなくてはならない。
それなくして、この荘厳無比な
美に包まれし祈りの様を享受
する事は出来ない。
今、まさに世界各地で
起こっている様々な争いや
又、足元に目を転じれば、
この国の将来を危うくする様な
政治の有り様など、
ありとあらゆる現状に我々は
翻弄されようとしている。
そんな時代ではあればこそ、
私は自らのせめて
精神の救いだけは、かけがえのない
芸術の、美の世界にのみ求めたい。
人類の宝、
ウォルフガング・アマデウス
モーツァルトの作り出した数多の
名曲。その最後を飾った
未完の大作レクイエム。
有名無名に関わらず、
人は死に寄って否応無しに
逃れられぬ別れを告げなくて
ならない。
ならば、せめて自らの
精神の帰着点を定めておきたい。
私に取ってはそれが
このモーツァルトの白鳥の歌
なのだ。(ルチアーナ筆。)

★モーツァルトのレクイエムは
ご承知の通りラクリモーサの
八小節で絶筆となっているが
それ以降、弟子ジュスマイヤーに
よりモーツァルトの構想譜などを
参考に全曲の完成をみる。
この作品には伝説的逸話も含め
数々の曰くがあるのだが
それらも充分心にも留め置きながら
ご鑑賞願いたい。
誉高い名盤(CD等)が
数多現存する。どうぞ
お手元に一枚求められては
いかがだろう。