クォリティー…。 | ルチアーナの音楽時評・アラカルト。

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40年以上に及ぶ音楽家としての筆者の活動と
その経験から得た感動や自らの価値観に基づき
広く芸術、エンターテイメント等に独自の論評を
加えて参ります。現在小説 愛のセレナーデと、
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ものを作り上げる事は誠に難しい作業である。ましてや、無形のもの視覚、聴覚、言わば人の五感に訴える感性に富んだものを構築するとなればそれは実に苦労の種となる。努力と忍耐、そして何より増して必要なのは各々の分野における学問的見識だ。これが必要不可欠。もの作りとはそう言う事の中から表出する。例のAY氏であるが、さかのぼる事十ヶ月程前、自ら最高権力を握るAKB48楽曲版総選挙イベント云々…っと称する催しがあったそうでその演出に大変ご立腹になり「びっくりする程、しょぼかった」とか「時代錯誤の企画」だと言い放ち、終いには「つまらぬバラエティーを企画するくらいならAKBメンバーをうだうだとトークさせておいたほうがよほど面白い」っと、のたまわったそうである。「最低のクォリティーだった。」っと…。私も時代に敏なる人間ではないので最近になってその事を把握した所なのだが、それを聞いて私は途端に一人大爆笑をしてしまった。よくもまぁ~恥ずかしくもなくこの人はクォリティーなどと言う言葉を平気で使うものだと…。人間呆れ果てると怒りではなく笑いになってしまう。こう言うのを「天に向かって唾をする行為」と言う。そもそも彼の書いた詞のどの辺に卓越したクォリティーの表出があるのだろうか?。縦書きの文章にして一度読んで御覧なさい。目を覆いたくなる程の程度の低さではないか!。最も彼は詞を書いているそうで詩は書けないのだろう。だって自身、「私は作詞家」だと言っているのだから間違いあるまい。とにかく彼の詞からは美しい形容詞など一切見い出せない。まぁ~何でも良いが少なくとも諸々、俗に言う所のダメ出しをするのなら先ずその前に自分が作る詞のクォリティーを上げなさい。私はそう申し上げたい。クォリティーの劣化は甚だしい限り、そんな事は今のエンタメ業界を一見すれば明白だ。BPOの指摘も頻繁に発せられる状況だが、自ら手しよにかけたAKBの少女達を下品極まるそれこそ低俗バラエティーに出演させてプロレス紛いの危険極まる事をさせ下半身をあらわにさせる行為を容認したのだ。彼は…。それが総合プロデューサーのやる事か!。番組の内容を把握していなかったなどとは言わせない。とにかく無責任な言う事と実際やっている事が違う…っと言った事は
もうそろそろ止めにしては如何だろう。人間としての品位を問われかねない。社会的には遥か天上人に登りつめたAY氏だが、さてその人間としての中身は…それこそクォリティーは…?。まぁ~もう良かろう。取りあえずクォリティーが高いの低いのと軽々に口にするのだけは止めておくべきだ。言えば言う程、とかく失笑の素となる。(ルチアーナ筆。)