道徳 | 霊能たかのりのブログ  

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不思議な世界へようこそ

日本には『道徳』という素晴らしい発想があります☆

読んで字の如く。

『道』の中にある『徳』です。

一つ前のブログに書いた内容と同じなんですが、日本の習い事には『道』という言葉が付きますよね☆

柔道・剣道・花道・茶道・書道などなど。

日本の習い事では、ただ単純に技術習得する事を目的としておらず、毎日続けることから得られる『気づき』を大切としています☆

その『気づき』とは『理(ことわり)』であり、理とは『自然の法則』『宇宙の法則』のことです。

つまりは、人間なら人間としてあるべき『自然な姿』を学ぶところが、習い事の『道』なんです☆

その『自然な姿』を『道理』と言います☆


『道徳』は、まさに『道理』をわきまえた上での『実践的な心得』を言います☆


マナーとかマニュアルとか、そんな『取り決め事』で収まるような話ではないんです。

秩序を守るとか、そんな狭い話ではないんです。

『道徳』は自然そのもの。つまりは宇宙そのもの。さらに言えば、それは『神』そのものなんです☆


取り決め事に準ずるなんていう、人間が決めたインチキなものとは違うんです。

人間が決めた事なんて所詮は人間のエゴ。

自分たちが都合がよくなるように謀(はか)らったものに過ぎないんですよ。

そんなもんに従ったところで、人間の都合にしかならない。

つまりは都合のよいように人間に支配されるだけなんです。


でも昔の日本には、それを知ってか、『道徳』という素晴らしい日本語があったんです☆

それは『道』とは何かをちゃんと知っていたから通用した言葉なんでしょうね☆


今では『秩序』と『道徳』の区別もつかないことろでしょう。

『ルール』と『道徳』はあからさまに違うものです。


日本人は本来、自然と共にあったんです。

それは木々や野菜たちと一緒だったという話ではありません。

そういった現実じみた話ではなく、『心』とか『魂』という見えない世界観の中に宿す『観念』です。


全ては一つ。

最近の言葉を借りるならワンネス。


星も月も太陽も、草木も動物たちも、虫や鳥やカエルの鳴き声すらも

全ては『心のあらわれ』として感じ、そこに『自己』ではなく『自然の営み』を宿したんです。

『自分の心』を『自然の営みそのもの』にしたと言うことです。

『自我』ではないんです。

風と一体になるって言ってるのと同じです。


話がそれて聞こえるかもしれませんが、そんな事はありません。

風と一体になることが『道徳』なんです☆


だから、利権問題に道徳観なんてあるはずがない。

現代の価値観には道徳観は皆無に等しいと言って、まったく過言にはならないんです。


つまりは、今の日本人には『道』の観念が抜けているって事です。


…と言っても、このブログを読んで思い出せるならまだ救われるんですけどね☆


うぜぇ…とか、この人は何が言いたいんだ?…とか、そう思われてしまうのなら…

僕たちが目の黒いうちに…とんでもなく残酷な光景を目にすることになるかもしれません…。


僕が最近、過激発言する意図には、そんな思いがあるからなんです。

これは僕だけが叫んでいるワケではなく、本当にたくさんの方々が訴えている事です。


奇しくも、日本には素晴らしい観念が宿されています☆

震災の直後、人の物も盗まずに、むしろ助け合いがあんなにスムーズに行える国は、正直そんなに多くはないでしょう。

領土問題に関してもそう。こんな小さな国土で満足している国も、そんなに多くはありません。

大概の国が、国土を拡大して資源をむさぼろうとしているのですから。

日本人の心に『足るを知る』という観念があるからでしょう☆

今で十分に幸せだって、本当は知っているからなんですよね☆


ただ、現代の人々のほとんどが、『寂しい』という恐怖に心を奪われているのは確かです。

だから結婚や恋愛に執着したり、だから見栄を張るためにお金をしこたま稼ごうとするのでしょう。

何で寂しくなっちゃったんでしょうね?

その答えは『孤独感』です。

つまり『ワンネス』と逆の発想になっているからなんです。

『皆と共に』ではなく…『私を見て!』なんです(苦笑)

我(われ)は皆であり、皆は我である

ならば、寂しい思いなんて起こるはずもない。

震災の後の被災地で、本当の意味で『寂しい』と思った人はほとんどいなかったのではないでしょうか?


『道徳』があったからです。

秩序じゃありません。道徳だったからです。


自分の都合を叫ぶ人は、その輪の中には居られなかったでしょうね。

そこに本当の真理があると思うんです。

それが『道理』であり『道徳』なんですよ☆


日本人に道徳観がよみがえれば、経済も、少子問題も、晩婚問題も、離婚問題も、学業や教育の問題も、犯罪も、もっと改善される事でしょう。

学校の道徳の授業で、本当の道徳を教わっていたなら、もっともっと素晴らしい国であったでしょう。

でも残念ながら、僕はこんな年齢になって、やっとこうして『道徳観』の意味を知りました。


だからそこ、このブログを読んだ皆さんは、未来の子供たちに本当の道徳観を伝えてほしいと、個人的には願います。

それには先ず、自分自身が道徳を体得しなければ伝えられません。

唐突ですが(笑)、奈良の吉野で買ったハチミツがめちゃ美味しかったんですよ!

どんな味だったと思います?

…って変な質問ですよね(笑)

食べた人じゃないと、わかるワケがない(笑)


そう。体験して体得しなければ、それを説明することは難しいんです。


日本に『道徳』をよみがえらせたい。

僕は今年に入り、そう強く思うようになりました。

これまた奇しくも、このブログをアップした今日が僕の誕生日(笑)

今日、この日に決心しました☆


今年から、僕なりの『道』を説いていこう。って☆

おそらく僕のサロンである『アトリエ沙羅双樹』は、そのうち『道場』となるでしょう(笑)


そんな事はさておき(笑)


今、世界の情勢を見て、いよいよ緊迫した世の中であることは皆さん気づいていると思います。

こんなときに他人任せにしていると『孤独感』から解放されることのない人生観にさいなまれるでしょう。

だから、今だからこそ、あらためて『自分』を見つめ直してください☆

自分の心配ばっかりしてる場合じゃない。

『自分らしさ』を発見して、自分らしく『道徳』してください☆

それが『ものの道理』だからです☆