道あってこその道しるべ | 霊能たかのりのブログ  

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不思議な世界へようこそ

僕は幼少の頃から国道1号線と共に育ったようなものです☆

身籠った場所も、産まれた産婦人科も、育った環境も、国道1号線から歩いてすぐの場所でした☆

国道1号線は東海道五十三次。道に沿って東に向かえば花のお江戸と続く道です☆

ちなみに僕の実家からは、僕の大好きな熱田神宮までは一回しか曲がらずに辿り着けます☆

ま、さておき。


こうして明確な道があることによって目的地に辿り着けるのは『ものの道理』というものですよね☆


人生もしかり。


人生も『道』あってこその『目標』だと思うのです☆

『道』がなければ『道しるべ』も立てられない。

『道』がなければ『理』に辿り着けない。

『理論』だけでは前に進めないんです…『道』がなけりゃ。


頭だけで論じても仕方ないって事。理解にならないって事。『理』を解っていないって事。

『理論』と『理解』は違うんですよって事です☆

『道』を進む中で『理解』するのが本来の道理。

『道理』ってそういうことなんですよね☆



では、人生にとって『道』とは何でしょう?



それは『歩んでいく過程』つまりは『瞬間瞬間の体験』だと思うんです。

違う言い方をすると、『続けて感じたいもの』。



その体験の中で法則性を感じる事を『道理』というんでしょうね。

『理』とは『自然界の法則』つまりは『宇宙の絶対法則』の事ですから。

『不自然ではないこと』を体験を通じて感じとる。そのプロセスの事を『道理』というのでしょう☆



逆説すれば、『理』なくして『道』はない…とも言えますよね。

言いかえると、道を進めば嫌でも『理』を感じる事になるって事でもあります。



何か禅問答みたいで難しいですね(笑)

でも続けます(笑)


剣道・柔道・茶道・花道…などなど

日本には昔から『道』がつく『習い事』がありますよね☆

これを使って説明すると、一見違うジャンルである花道と柔道をそれぞれ習っても、まったく同じ『理』に辿り着くとも言えます。


『道』

つまりは、継続して毎日毎日、瞬間瞬間を感じていく『集中して感じたいジャンル』を歩み進めると、必ず『ものの道理』が見えてくるワケですね☆

極めようとするものを日々探究していく事が、結局のところ『人生の醍醐味』と呼べるものになるんだと思います☆



って事は…ですよ…

ずっと歩み進めるものを『道』というワケです。

ゴールに辿り着いてはいけないって事ですね(苦笑)

習い事の『道』においてゴールはない。なぜなら習い事の『道』では『おごり』を嫌います。

すなわち、それは辿り着いちゃいけないって事なんです(苦笑)


師範となったからって、ふんぞりかえってエラぶってはいけないって事です(笑)

人に対して謙虚な姿勢でいろ!って事ではなく、自分を満足させるな!って事なんです。


だから表面的に謙虚なフリをしたって、本当に満足させずに探究を続けている人とは、まったくレベルがラベルが違うって事です。



まさに『おごれるものひさしからず』なワケですよ。

満足したらそれで終わる。


だから『継続は力なり』なんですよ。


そもそも、『目的』を満たす為のプロセスには『本当の答えなどない』って事です。

例えば、結婚したって幸せにはなれないって事を言ってるんです(笑)


誰と結婚しようが、誰と恋愛ができようが、そこに永続的な幸福間は感じられない。

結婚していない人には申し訳ないですが(苦笑)、結婚している人にはよく解ってる事ですね(笑)

でも、そこに永続的な幸福を求める事自体が間違っているとも言えるワケですね。

幸福を求めるのではなく、『継続の中から真理を学ばさせていただく』のが『ものの道理』としての正解なのでしょうね。



誰かが幸せをくれるのではない。

人を自分の価値観で縛りつけるものではない。

世間が言う親達が言う常識が『幸せになれる方法』ではない。

って事です。



習い事の『道』でもそれぞれの『型(かた)』というものがあります。

基本技法の事です。

でも、その『型』が不作法になる事が、絶対の失礼にはなりません。

むしろ、相手をおもてなせない事、相手のおもてなしを心で理解できない事のほうが無礼なんです。

武道にも同じ事が言えます。

相手の心を読む事が重要な部分です。
『型』に囚われていては勝負にもなりません。


ようするに、『心』で感じる事が重要視されています。

『表(おも)』『面(おも)』には本当の答えなどないんです。


それが習い事の『道』を修得する本当の意義であろうと思います。

技術を習得する場ではないんです。

それは『道』ではないんです。

『道』である必要がないんです。




現代の社会では、数字での成果を出すことが誉(ほまれ)とされたり…

高級な品で身を飾ることが誉とされたり…

身を削って派手に働くことが誉とされたり…

就職を有利にするための資格を持ったことが誉とされたり…

器用に何でもこなせる事が誉とされたり…

何かにズバ抜けた技術的な才能があることが誉とされたり…

結婚して子供を育て、つつがなく生活をすることが誉とされたり…


…してるのですが…

そんな表面的な事には本当の大切なものは微塵も存在しないんです。

『型』なんて、ある意味でどうでもいいんです。


表面ではない『表無し(おもてなし)』 を感じる事ができるか?

それが日本の『道』なのだと思います☆


『心』とか『魂』とか『志』とか、そういった他人からは見えない、現実の成果とは違うものを大切にするこの伝統。

今一度、日本人ならそれを思い出して、心得なければいけないのではないでしょうか?


今の日本の人々は、あまりに『表面的』になってしまっているのではないでしょうか?


それを俗に『薄っぺらい』と言うワケですよね。


頭で白か?黒か?の理屈っぽい判断しかしない事を、この日本では『薄っぺらい』と言うワケです。


ヒニクな言葉ですが、今一度、あえて自分に渇(かつ)を入れるべきなんですよ。

『自律』すなわち、自分で自分を律していく事が、今の日本人は出来なくなってるから。


甘えん坊になりすぎたんですよ。

だって、自分に褒美を与える快楽に溺れ過ぎてます(苦笑)

それはぶっちゃけ…クスリ中毒よりタチ悪い状態ですよ(苦笑)。

『幸せ』だけを追いかけるからですよ。


だからお金を追いかけて、お金で得られる快楽性でご褒美して…

お金を手にできなきゃ身体的…いや、脳ミソで感じる脳内分泌による快楽に溺れていく…

どちらも『心』の通わぬ『薄っぺら』な人生観。


だから『道理』がわきまえられないんでしょう。



だから『理(ことわり)』つまり『自然』とは何か?…が分からなくなったんですよ。

『道』を歩んでないからですよ。



人として歩む『道』は、日本人の心に宿っています☆

虫の鳴き声や、カエルの鳴き声、鳥たちの鳴き声から情緒を読み取るその力です☆

雨の降る様を『しとしと』『ザーザー』などと幾つもの情緒に分ける言語を話すのは日本人くらいなものです☆

カラスに愁(うれ)いを感じられるのは日本人くらいでしょう☆

可愛いとか可愛くないとかを超えた世界観だと思います☆

カラスを物質として見ていない証拠です。

カラスを世界観から分離せず、自然界の全体に含めていく『ワンネス』の思想がなければ出来ない発想です。


日本人は、本当は『心』で生きているんです☆

それは『霊的』というものを理論じゃなく『理解』している根拠なんです☆


『目に映る全てのものはメッセージ♪』が心から理解できるんです☆

魔女の宅急便を観るだけで深い理解ができるんです☆


なのになぜ?

何で『本当の幸せ』が分からなくなるんでしょうか?



日本人の心である『道』が、『本当の幸せ』を標(しるべ)を見せてくれているのに…


目に見えてるものしか信用しないとか…ワケのワカラナイことばかり言うようになっちゃったので、日本人特有の霊的真理を見失ってしまったんですよね(苦笑)


ま、習い事を教える師範たちが『愁(うれ)い』すら感じられないようになっちゃったからなのかもしれませんが(苦笑)

だって師範たちの指には高級な指輪がくっついていたり(笑)

本革シートの燃費の悪いマシーンを平気で乗り回したり(笑)

ワビもサビもありゃしない(苦笑)


超~現実しか見てない有り様じゃないですか…


ま、でも、そんな師範たちの背中を見ながら、僕たちは個々に『道』が何たるかを学びとるべきでしょう。


極道(きわめみち)な生き方じゃなく(笑)

極まらない道を選択しましょう☆


そしたら本当の『道標(みちしるべ)』に沿って生きていけるようになりますから☆


もう一度、今一度、日本人の心を取り戻しましょうよ。

日本には素敵な『道』という『理』にかなった素敵な教えがある事を、このブログで再確認してください☆


そしたら皆さんが『本当にやりたい事』も見つかりますよ☆

また、変に結婚に執着することもなくなりますよ(笑)

もしくは本当の結婚の意義がわかりますよ☆