最近身の回りに起きた出来事をずっと考えてみた。
「幸せ」を追いかけたあげくの悲しい出来事が連発したからだ。
結局は…
生きる事、生活するへの不安と葛藤が、結局のところ人を魔の手の中へと引きずり込むのだと思った。
愛する事や恋する事が悪いワケではない。
むしろ「自分が抱いた生活不安」や、「他人と比べた自分の立ち位置」に準じた上での恋愛観というものが、事を難しくしてるんだ。
社会観も家族への対応もそう。同じだ。
そして「幸せ」というものを間違って解釈してしまってる事が根本にある。
「手に入れたい」
「安心したい」
と主観的な願望を埋めることが「幸せの価値観」である限り…
その願望を手に入れた状況でないと「許せない」という感情が起こってしまい…
自分にしろ相手にしろ…
結局は「人」を愛することが出来なくなる。
「満足な状態」ばかりを追いかければ、現状は「不安」にしかならない。
そういう事だった。
「満たされない」
たったそれだけの感情が出来事を最悪のシナリオへ導いていた。
「満たされない」から「許せない」のだ。
しかも、その求めている水準値が高いケースが多く、求めるがゆえに「感謝」を感じられない状態で日々を過ごしている共通点が見つかった。
「贅沢」
そう「贅沢」を言わなければ、「贅沢」を求めなければ、結末を悲しい方向へ進めなくても済んだのだと思う。
今回起きた悲しい出来事は…裏を返せば、このいずれも…
「お金」だったんです。
「金銭感覚」だった。
人を愛したはずの関係は…結局は「生活水準」という魔の手に押し潰されたケースばかりだった。
いくら人を好きになっても、いくら自分を好きになっても…
お金によってその思いが失われていく…
そして…生きる希望さえ失ってしまう…
これは精神論や経済論だけじゃ解決策は見当たらない。
…これからもっと、こういったケースの問題が増えていくのかもしれない。