見えてきた結論は恐ろしいものだった… | 霊能たかのりのブログ  

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不思議な世界へようこそ

最近身の回りに起きた出来事をずっと考えてみた。

「幸せ」を追いかけたあげくの悲しい出来事が連発したからだ。



結局は…

生きる事、生活するへの不安と葛藤が、結局のところ人を魔の手の中へと引きずり込むのだと思った。

愛する事や恋する事が悪いワケではない。


むしろ「自分が抱いた生活不安」や、「他人と比べた自分の立ち位置」に準じた上での恋愛観というものが、事を難しくしてるんだ。

社会観も家族への対応もそう。同じだ。



そして「幸せ」というものを間違って解釈してしまってる事が根本にある。


「手に入れたい」
「安心したい」

と主観的な願望を埋めることが「幸せの価値観」である限り…

その願望を手に入れた状況でないと「許せない」という感情が起こってしまい…

自分にしろ相手にしろ…

結局は「人」を愛することが出来なくなる。



「満足な状態」ばかりを追いかければ、現状は「不安」にしかならない。


そういう事だった。


「満たされない」

たったそれだけの感情が出来事を最悪のシナリオへ導いていた。


「満たされない」から「許せない」のだ。


しかも、その求めている水準値が高いケースが多く、求めるがゆえに「感謝」を感じられない状態で日々を過ごしている共通点が見つかった。


「贅沢」


そう「贅沢」を言わなければ、「贅沢」を求めなければ、結末を悲しい方向へ進めなくても済んだのだと思う。


今回起きた悲しい出来事は…裏を返せば、このいずれも…

「お金」だったんです。

「金銭感覚」だった。


人を愛したはずの関係は…結局は「生活水準」という魔の手に押し潰されたケースばかりだった。



いくら人を好きになっても、いくら自分を好きになっても…

お金によってその思いが失われていく…

そして…生きる希望さえ失ってしまう…



これは精神論や経済論だけじゃ解決策は見当たらない。

…これからもっと、こういったケースの問題が増えていくのかもしれない。