まんびきしたことはないけど
わたしはひとのこころをぬすんだ
ぬすんだことにもきづかずに
へやにかぎはかけないけど
わたしはこころにかぎをかける
かぎのありかもわからずに
うそはついていないけど
わたしはほほえんでだまっている
ほんとのきもちをだれにもいわずに
いいこだから
わたしはわるいこ
谷川俊太郎
改めまして。すみません…タイトルは上記の詩のものではないです。
ご了承を☆
ところで、上記に記載した谷川俊太郎さんという方の詩。読んでいかがでしたか?
実は僕はこの方をはじめて知りました。今読んでる本に記載されていたから、読んでる最中にとっさに携帯を取り記載しました。
なぜ急いで携帯を取り、この詩を記載したか?
この数日の僕の感受していたものを、あまりに上手く表現されていたからです。
いったい愛するとは何なんでしょう…
人を愛することが、なぜこんなに残酷でなければいけないのでしょう?
ただその愛する人の前に忠誠を見せているだけなのに…
なぜこんなに心を荒(すさ)ませながら過ごていかなきゃならないのでしょう?
けっして悪い事をしていないのに…心はどんどん自分を「悪い子」にしてしまう…
「愛する」という…苦しく残酷な道へと…導く時の流れのシュールさを感じずにはいられません。
恋愛なんて「酔いしれだ」と言われれば、その通りで、こんな感情はタダの妄想であり幻想であり、一種の心の一人遊びなのかもしれない。
でも自分でそんな事は分かってたつもりなのに…
毒牙は相手を愛したその日から時を重ねれば重ねるほど、盲目的に心へ食い込んでいく…
気づけば心に毒が回り…もう遅い…
痛みを伴うロマンスから抜け出す術(すべ)すら分からなくなる…。
そして…ついに残酷の鐘が打ち鳴らされる。
実は僕のここ数日に、こんな出来事が複数件にわたり、連続で起きていたんです。
僕はそれを、いずれも第三者的な立場で関わり、とても深く考えさせられた。
「純粋無垢な想い」と「現実的な視点」が交錯し…
「支え」と「甘え」が交錯し…
「天使のささやき」と「悪魔のつぶやき」が交錯し…
まるで親と子のように男と女もお互いの「知」と「無知」を学んでいくのだろうけど…
溺れ行く最中のその心情は…寒気がするほど理性のない感情で…
それに拍車をかけるように「束縛心」というものが悪魔の儀式を引き寄せていくのだと…
凍えるほど怖い思いで感じさせられています。
現実しか見えない人には分からない、見えない世界に起こっている真実…
「魔が差す」
とは本当によくいったもので、「憑依」といわれる現象を簡単に引き起こしてしまうそんな…
恋愛観
家族観
社会観
などの知識や教養として身につけた「頭」で理解した「レッテル」が…
今、本当に恐ろしいほど、悪因果として「浮き彫り」しはじめたんだと思わされています…。
「経験がものをいう」と僕もずっと繰り返し訴えてはいるものの…
「真実の価値観」を体験できてない人には、その真意をまったく理解できないのだと…
痛感しています…
どうすればいいのだろう…
どうすればもっと伝わるのだろう…
体当たりだけじゃ伝わらない事のほうが多い…
情を捨てろ!と何人かの指導者には言われたけど…
僕はそれが保守的だとしか思えない。
「衆じょう救い難し」と言うけれど…
そんな悲観的な思いでこの人生を過ごしたくない!
一人ひとりを夫婦のように親子のように愛してあげたくても…
体がひとつしかないから…
大したこともしてあげられないし…
いくらこの心が燃え盛る炎になっていたとしても…
真側に居てくれなきゃ温めてもあげられない…
自分のできる事なんてチッポケだなんてことは分かってんだよ!
…でも、もっと何か方法があるんじやないだろうか…?
そう思いながらも…こうしてブログを綴ることしか出来ない…この無力感…。
ここしばらくはそんな事を毎日考えていくことになりそうです。