そういえば、先日、小学校の回報(おたより)にこんな内容を目にした。
被災地に余るほどの物資が届いた地区の子供たちは物を大切にしなくなった…と。
それは東日本大震災だけじゃなく、阪神大震災の時も同じだったらしい。
僕は別に「もう物資を贈るな!」と言いたいワケじゃないんです。
むしろ、これだけの時間が経っても、未だに生活回復の難しい被災者はたくさんいると思います。
だから支援はあったほうがよいと思います。
今回僕が言いたかった事は…
「与えられ過ぎた子供たち」が大人になった時…
それに比例したかのような後悔をするらしいのです。
もちろん一概に全員がとは思いません。
でも、僕の仕事を通じて受ける印象も、やはり与えられ過ぎて育った人は大人になってから大変な思いをする事になっているように思います。
お金持ちがどうのと言ってるワケじゃありません。
資産家や事業主の親の下に生まれても、あとを継ぐ意志で努力された方々はむしろ立派な意識を持った方が多いのも事実です。
問題が起こりやすいご家庭は、親が子供可愛さに何でもしてあげてしまっているところに多いと感じています。
そういう環境で育った場合の多くの人がいわゆる「キレやすい性格」を形成してしまっているようにも感じます。
自分が率先してやらなくても家族が親が用意をしてくれていたので、誰か自分の思い通りにならない存在がいると、その人物を攻撃してしまうんです…。
本人は悪気があってやっているのではなく、反射的に「やってしまう」のです…。
これが、よそ様に対してなら関わりを持たないようにすればいいだけの事で済むのですが…
家族や親子であった場合…大変な思いをずっとしてなくてはいけません…。
実は僕が感じるところ、今の親世代(30代40代)くらいの人に最も多く存在しているようにも感じています。
その世代を育てた親は、戦争で何もかも無くなった時代に生き、バブル全盛期に子育てしていた為、物資を豊かに与える事が慈悲心だったワケです。
幼少から何でも自分でやらなければいけなかったから、子供には苦労をさせたくなかったんです。
でもそうやって育てられた苦労知らずの子供たちは、今、大人になり親になり…
自分の親にも…自分の子供にも…辛抱が利かずに「キレまくり」…の日々を原因も解らずして過ごしています。
でも本人たちは、すぐキレてしまう自分に罪悪感や嫌悪感さえ抱いていて、自暴自棄の毎日を過ごしているんです。
幸いにも僕はその世代であるわりに、貧乏だった我が家は、両親とも夜遅くまで仕事から帰ってこれなかったし、爺さんも婆さんもいない核家族だったので、僕はそれこそ保育園から一人で帰宅することも珍しくなかった環境で育ちました。
当然ながらご飯も自分で用意して食べなきゃいけないし、家族は誰もいない…という時間に幼少から慣れていて、ゆえに僕は自分で何でもしてしまう癖をつけさせてもらえました。
幼少から僕は、よく「優しい」とか「気が長い」とか「全然怒らない」とか言われるんですよね。
でも逆に僕は、「みんな何でそんな事でキレるの?」…としか思えなくて、僕はただ普通にしてるだけなんですよね。
『それが当然の環境に育ったから。』
だから明確に解るんです。
「与えられ過ぎた子供たち」が今どれだけ自暴自棄に苦しんでいるのか…
それは何故にそうなったのか…
『豊かに育つ』ことを履き違えてしまうことの恐ろしさ…
『愛情をもって』を履き違えることの恐ろしさ…
誰も悪くないからこそ恐ろしいこの社会構造…
みんな間違いたくて間違っているワケじゃない。
でも何故か悲しいことになっている…。
誰も悪くない。
…けれど。
だからこそ、今みんながこの事に気がつかなきゃいけない。
今の子供たちが未来に苦しまない為にも、現代社会が通説にしているいわゆる『常識』を疑い、変わっていかなければいけない。
常識を変えるのは国でもお偉いさん方でもない。
自分で自分の価値観を変えなければ、誰も自分の生き方を変えてはくれない。
気がつけば変わっていける。
動けば動いた分だけ変われる☆
苦労は不幸せではないんです☆
ビジネスの成功が幸せではないんです☆
幸せとは『心の平穏』です☆
甘えや快楽や贅沢に心が侵されて、それらの環境が手に入らない事にいちいちイライラしてしまうのは…とてもとても不幸な事です…。
今一度、自分の価値観を見つめてみてください。
誰もあなたを幸せにはしてくれないんです。
自分が選んだ環境がそこにあるだけ。
それを『幸せ』とか『不幸せ』とか勝手に判断して勝手に喜んだり怒ったりしてるだけ。
それが真実。
だから他人任せな幸せは、いつか…いや…近いうちに失う運命にあります。
誰にとってもそうなんです。
幸せはそういうものではない事に気づいて下さい☆
後で嘆(なげ)かない為にも、今苦しんででも考えてみてください☆